南相馬 騎馬武者ロックフェス2015
で、打ち上げる花火のお金を、
全国各地で募金を集め、協力してくれる方たちの力も合わせ、
2014年9月20日から2015年9月19日まで募金にて集めました。

1337518円

集まりました!

ありがとうございます。

今年、花火費用金額は、

1001440円

無事、福島県糸井火工様にお支払できる事になりました。
糸井さん、打ち上げ花火と、子供たちの手持ち花火、
協力ありがとうございました!


のこった336078円は、
2015年分にしようと思っています。

みなさん、本当にありがとうございました。









すこしだけ、みんなの花火の事、
書いておこうと思います。



最初は、
2013年の3月の時点では、
打ち上げ花火は、まだ不謹慎じゃないだろうか。
地元の人間じゃないのに、でしゃばってないだろうか。
そんな事も思っていました。

フェスの名前も、規模も、場所も、許可も、申請の仕方も、
なにも知らない中で、思い立った次の日から、
募金を集めていた自分がいました。

何度か南相馬に通わせていただき、
みんなの話をきいたり、顔を見たり、している内に、
だんだん、フェスの形が見えてきたのは、
本当に、2014年の春から夏にかける、そんな直前の季節だった。

フェスを作る話し合いに集まっているのは、
音楽関係者じゃない。
地元の、他に仕事を持っている方たちばかりだ。
時間も、フェスのイメージも、おれも含めて、くっきりはしていなかったはずだ。
でも、地元の方たちが立ち上げる事ができれば、
震災後、南相馬に新しいお祭りができる。

ずっと続いてきていたサマーフェスタも、
海沿いでは開催できず、中止のままの状況だったのもあり、
うれしいニュースをみんな、作りたかった。


1年目は、正直つらい事も個人的にはたくさんあった。
色々な理由のもと、スタッフをやめていかれる方もいたし、
南相馬の方と、口論になる事もあった。

ポスター、ホームページ、フライヤー、タイムテーブル、
出演アーティスト、宿泊、告知、お金。
そして、新聞やラジオや、テレビ、CD店への宣伝のお願い。

様々な事を、それぞれの担当者の方と話し、自分も関わっていたけれど、
出演アーティストが大きなアーティストが決まっていき、
携帯電話しか持っていない仁くんと、地元の人間ではないのに、
南相馬にきてくださいとアーティストを誘っている自分。
(もちろん、他にも力強い地元の方たちが、アーティストを考えたり、
様々なアイデアを考えたりしていた。)

なんだか、説得力も、対応する力も自信がなくなってきた頃、
仁くんと、夜中、相馬港にドライブしにいった。


それが、開催の1ヶ月前くらいだったと思う。

福島のU-ONE MUSICに電話した。
なんとか協力していただけないかと。

もともと花火の事なども、
協力してくれていたり、見守ってくれていたのもあり、
話をゆっくりきいてくれて、
数日後、やりましょうと、
連絡をもらった。


様々なフェスを作り、関わってきたプロに、
関わってもらえる事になったものの、
おれは正直、このタイミングで、
協力をお願いした事も、ずいぶん自分をせめました。
でもやっぱり、協力してもらわなかったら、当日、
ばらばらだったと思う。

ケータリングには、萬福食堂にお願いをしました。
すぐに南相馬にきてくれて、実際に放射線量を図ってくれたりした。
地元のみんなとつながるのも、まんちゃんたちの才能。はやかった。
挨拶回りを2回まわろう、お金が足りないなら、岩手でも募金を集めようと、
本当に心込めて協力してくれている萬福食堂、感謝です。

レディーフォーという方式で、お金を支援してもらう方式を1年目はとった時、
否定する人もいる中、まんちゃんはすぐに電話くれて、
さらに募金を集めてくれた。
あるフェスに向かう車の中だった。
岩手のありがとうロックフェスでした。(このフェスがなければ、
騎馬武者も、募金による花火も、なかった。仁くんとおれで、このフェスを体験し、
南相馬にもこのあたたかさを、というイメージを何度も話した。それと、げんちゃんの、
「はらくくれ!」の言葉や、大槌のみんなの存在は大きかったです。)

電話しながら、いきなり泣いているおれを見て、
南相馬のてつおくんも、涙ぐんでいた。

各デザインも、南相馬の方や、仲間が手伝ってくれた。
スタッフパスの紐は、1本1本染めてくれた。
お金がないなら、手作りの温度がある。その温度はお金じゃ買えない。

東京の仲間も、東京サポーターズというチームを作って、
宣伝などのサポートをしてくれていた。
みんなそれぞれの仕事を持っている中、
ボランティアで、心込めて行動していた。
今年もでしたが、心強かった。本当に感動する。みんなの顔見てると。

そんな中、太陽族はトムジェリのツアー真っ最中で、
各地いったりきたりしていた。
でも、仲間たちにあって、深呼吸できていた自分がいて、
楽しかったツアーだった。必要な時間だった。

本当は、マスやブギーや、フジヤマも、騎馬武者へ、という気持ちは、
最後まであった。でも、南相馬と強くかかわっているバンドが、
出演が決まっていく中。なかなか個人的な想いは、むずかしかった。
この事に関しても、どうして誘わないんだ、と、何度かいわれた。
有名なアーティストばかり誘ってるよね、と。
ちがうんだ、わかってくれ。
悔しかったし、おれも全力だった。数年後、必ず。

お客さんの中にも、
ライブ後に募金を集めてくれる声が響いていて、
本当に、、うれしかった。

太陽族は、お客さんが1番の自慢です。



花火師さんにも直接会いにいき、
南相馬の仲間に須賀川まで連れていってもらい、
糸井さんにお願いをし、
(花火をあげる場所が、住宅が近いのもあり、
ちいさめの花火しかあげられない、という部分を、電話もし、
何度もなんとか大きい花火を1発でもあげられないか、と、何度か交渉した。)

でも、

最初はちいさく始めた方がいい。それともし何かあったら続けられない。

という糸井さんの言葉に、返す事はできなかった。

結局、この大きさの花火で、おれはよかったのかもなと思っている。
大きな花火ではないが、あたたかい花火になったなあと思っています。

今年の花火点火スイッチを押してくれた、
上野さんも、手持ち花火をたくさん寄付していただいたり、
警備の部分などでも、協力していただいた。


怒涛の嵐のような2014年を思い出しながら、
今年の花火を見ていた。

今年は、おれはほとんど何もしなかった。
地元のみんなが、
南相馬のお祭りを、ふるさと祭りを作ろうと、
なおさら火がついていたし、

「騎馬武者って花男が、太陽族が主催してるの?」
という質問が、はやくなくなればいいと思っていたのもあり、
取材も、ライブ後まですべて断った。

あえて、露出しないようにしていた自分がいた。
ある人に、なぜ取材に受けない?と、すこしきつくいわれたが、
わかってたまるか、と思ってた。おれの中での南相馬を愛する気持ちからだった。

それに、自分がおいしい所を持っていこうという気持ちが、
本当になかったし、浮かんだら、今の自分にはその気持ちは、
邪魔だった。

でも、ライブ前のひばりFMなど、いくつか出演させてもらった時には、
その想いも話した。


「ただいま。おかえり。ぼくらのふるさと祭り。」

この言葉も、実はおれの提案した言葉を選んでくれた。
そんな南相馬のみんなの愛情は、一生忘れない。
だからこそ、
おれじゃなくて、
南相馬のみんなががんばっている部分を、
ステージ以外の部分をしっかり、伝えたかった自分がいた。

フェスをたくさん経験している人に、
足りない部分も指摘されたり、
言葉でいうのは簡単だよ!と、
思うような事もいわれたりすると思う。
でも、
南相馬のみんななら、大丈夫だと想う。
本気でそう想えてる。


いろいろな問題もある中、
子供が産まれ、未来へ進んでいこうと、
力強く想っていた自分がいた。

そして、今年これなかった人にも届けという気持ちもあった。
昨年の花火と、今年の花火と、
つながっているように感じた。

有料化になった今年だけれど、
中学生以下、60歳以上無料にしたところ、
昨年と同じように、地元の子供たち、若い子たち、
お年寄りの方もきてくれていた。本当にうれしかった。
そのイメージは、いしがきミュージックフェスのイメージからだった。
岩手県に、本当にアイデアをもらってきたんだなと、つくづく思う。



色々不安はあったけれど、
今年も仲間たちと、花火募金を協力してくれたみんなに、
背中をおされ、チーム太陽族みんなで1年間がんばれました。

天気よかったしね!
この雲雀が原は、3つの神社の持ち物。
1000年続く野馬追祭りの神聖な場所。
きっと、神様が見守ってくれていたんだと思う。
そんな話を、騎馬武者後、地元の方と話をしてました。






1年長かったー!



昨年のライブの話。
飯がノドに通らず、
本番時、何も食べられないままステージに立った。
1日、朝から歩き回って、
体力配分できなかった自分もいた。

そんな状態でライブになった事も、
本当に自分では経験不足(よくいえば、全力で走るしか、できなかった。)
だった事を1年間思っていて、

それから、ライブ前はしっかり飯を食う事にして、
休む事も前進と思い、

今年の騎馬武者は、

途中で休み休み、ご飯も定期的にすこしずつ食べ、
元気に、ステージに立つ事ができた。

協力してくれた仲間には、ありがとうを伝えたいです。


部屋の玄関に、
騎馬武者のポスターを貼り、
昨年のライブの日から、
毎日、今年の騎馬武者をイメージしていた。

本当に、毎日。
楽しいライブをするイメージ。

そして助けてくれた仲間がひとりふえました。

麦。






子供ができて、
しばらく別居しようと決めていた。
北海道と東京。

北海道と東京と、家が2つある状態で生きていこうと、
夫婦で話し決めて、生活できる準備もしっかりして、
しっかり話した上で、
なんとかなる!なんとかする!の気持ちで乗り越えたり。

数年間、家族と別居を考えていて、
結婚後の市役所の書類には、
「別居」という欄に何度かチェックを入れて、
その中でも、応援してくれる家族がいて、
騎馬武者に、全力で迎える体制もあり、

麦の真っ白な存在に救われてきました。


そうしたい自分もいたので、
ここまでがんばれました。



それと、そばにいてくれるみんなが、
いなかったら、とっくにグレてるタイミングが何度もありました。笑
それを救ってくれていたのは、ライブです。本当にそうでした。


ライブにきてくれるみんな、ブログ読んでくれているみんな。
ありがとう。


最後に。

もう一度書く形になるのですが、
騎馬武者の想いが生まれるきっかけの大きなひとつに、
岩手県のありがとうロックフェスの存在と、げんちゃん、大槌のみんなの存在は大きかった。
花火を募金で集める、というのも、
ありフェスの花火や、
それと小樽の高島漁港での、募金による追悼花火の存在。
そしていっしょに2013年3月11日前後にアコースティックツアーまわった、
仁くんと、隼人。南相馬、福島県のみんな、それとみんなで協力してきた太陽族。
会場まできてくれた映像スタッフのみんな、
音響の松永さん(ワタロック)、照明のきーちゃん、写真撮影のとんこちゃん、
ライブにきてくれるみんな、
花火募金協力してくれたみんな、出演アーティスト、会場にきてくれたみんな、とおくから見守ってくれてた仲間、
実行委員、ボランティアスタッフのみんな、その家族のみんな。そばにいた音楽。

そこから、色んな町の方ともつながり、
おれは、本当にうれしかったんだ。
来年に向けて、募金。集めています。
みなさん、来年もよろしくお願いします。


本当にありがとうございます。


音楽が大好きだ!


花男