やすくんの音源を聴いている。
「きっと道はある」という曲だ。

自分を信じて歩きだそうよって、
ふしぎと、やすくんにいわれると、
すごく力が湧いてくる。
何をやるかじゃないな、誰がやるかだよほんと。

大好きな音源。
みんなにも届いたらいいな。


ひさしぶりに、
感情をぶわっと書くブログを書こう。


太陽族として、17年目の2013年。

今年で34歳になるオレは、
(倍生きたら、68歳か、、)
人生の半分を、太陽族として生きてきた。

就職も1度した。
イトーキという会社の子会社。
会社のパーテーションや、棚などを、
主に、都内、そして長野なんかに、
トラック運転して届けてた。

でも、何をしに東京にきているのかの自問自答で、
やめた。

そして数ヶ月、
いわゆる、仕事もせず、
失業保険のみで、
ニートとして、バンドにあけくれた。
1999年くらいだろうか。

だが、すこしライブもできるようになって、
バイトを始めたのが、イトーヨーカドーの自転車売り場。
これがまた、楽しかった。

お店の方たちも、
本当にバンドを応援してくれて。

「今日!元ブルーハーツのドラムの人にレコーディングでコーラスやらないかって、
突然誘われて!チャンスかもしれないので、帰っていいですか!」

「しかたがないな、、がんばってこい!」

なんて会話もあったのを覚えている。

太陽族が売れ始め、
お店のUーSENで、太陽族が流れ始めた頃も、
バイトは朝から夜までイトーヨーカドーの自転車売り場、
夜、ライブがない日は、朝まで漫画喫茶、
また、漫画喫茶後は、自転車屋さん。

の繰り返しで、
イトーヨーカドーのバックルームで、
寝かせてもらい、
朝から出勤の長田さん(元気かな、、)に、
笑われながら、起こしてもらい、
寝癖ボーボーのまま、自転車を並べ、
しまいには、トイレで寝てしまったり、
パンク修理しながら寝てしまった事もあった。

そんなおれを、
応援してくれた、
あのころのイトーヨーカドーの仲間を、
(これ、読んでるはずないよな、、またU-SENで流れるまでがんばる。)
おれは一生わすれない。


音楽でおれたちをだまし、お金を巻き取っていった、
大人は初期の頃何人かいた。

でも、
お金じゃなく、心から人生として、
応援してくれた大人に、東京で初めて出会ったのは、
あのアルバイト先のみんなだ。
太陽族の「太陽族」も、買ってくれたりした。
イトーヨーカドーの社員のみんなや、バイトのみんな。
そして、「男の子」「花火」を作り、
ツアーなどで出勤できず、長期お休みをもらうんだ。
(今も、いちおうお休み中なのだろうか、、いつでも戻ってこい、
いや、戻ってくんな。みたいな最後だったように覚えてる。)


漫画喫茶では、
当時、太陽族BBS(2000年初期の頃)に、
みーんなに返事して、
お客さんきたら、レジに戻り、
という、ダメな店員だった。


だが、
太陽族しかなかったのだ。

全部の時間を、
太陽族に。
今もだが。


情けない話、
これしかのこってないのだ。
歌うということ。

歌いたい感情が、
おさえられないという感じ。



話はずれたが、
そうして今。

今日はけんじろくんと、
けんじろくんの曲をピアノで弾くのをお願いされ、
いっしょに練習したり、
2日前は、矢野絢子さんつながりで出会えた、
坂本順一くんと、2人でスタジオ入ったり、
やすくんとは、大阪でライブ2DAYSやれたり、
矢野絢子さんは、小淵沢ですばらしい音源を作っているし、
ゲンキくんから、誕生日の日に、ライブに誘ってもらったり、
THE SNEEZEはバナナムーンレコーズに所属し、ツアーもまわっている、
大好きなバンド。何度も支えてもらってきた。
大阪ではゆきなちゃんやとんこちゃんから、イベント誘ってもらったり、
花団から解散イベント誘ってもらったり、(出演できず、、)
郡山の秀吉くんからライブ誘われたり、
盛岡、福島で、トライプレインとライブができたり、
福島では、セカイイチともできたり、
2月21日には高円寺で太陽族初ライブから4周年イベントワンマンできたり、
3月3日は、アイラビッツが、再始動したり、
その日、ひさしぶりにマスミサイルに会えたり、
ブギージャックがマイペースに最高に元気だったり、(かっこよかったり!)
けんじろくんが、攻めてたり、
3月12日13日、
震災から2年目の瞬間に大槌や南相馬に、
いろいろ考えたうえ、弾きがたりしにいこうかなと思っている自分がいたり、
イシワタケイタが、沖縄でがんばってたり、
STANCE PUNKSが、沿岸で一緒にライブがしたいと、連絡くれて、
大船渡FREEKSで共演だったり。
そのツアーには高校生が混ざっているすばらしさや、
MOROHAのようなすばらしいアーティストと出会えたり、
3月末と
4月には、月光グリーンと北海道だし、
その後、実は弾きがたりで北見にもいきたいなと、考えていたり、
3月9日にはシュンタとあのイベント第2弾を四日市にて!
そしてその次の日、名古屋のお寺で歌える事や、
3月16日17日2DAYSで札幌ライブできそうだったり、
5月5日の出演バンドがすさまじかったり。


いま、ものすごくたくさんのアーティストが自分の周りにいてくれる。
それも、大好きなアーティストばかり。


ひとつひとつにドラマがある。
全力で、
ドキドキワクワク生み出してやんぞこんちきショー!



書ききれなくてごめん。


その全てにさ、
「太陽族やってなかったら見なかった景色」
があるんだ。


17歳のオレ。

他の人生があったかもしれん。

父さん、母さん、
おれは他の人生があったかも知れん。
大切に育ててもらったもの。
人並み以上に、塾も習い事もさせてもらった。
図鑑も教材も買ってくれた。


でも、

遊ぶ事も、見守ってくれた。

17歳のオレよ、
もがき選んだ人生の、
全てが、今の自分に生きています。

だって、高校の同級生と、
BANDできてるんだ。
最高な3人さ。
そら坊と、まると、りょう。


スタッフも最高です。



やすくんの曲、というかカバー、
「MOON RIVER」
が流れている。
MOON RIVER。
まさに、今の自分の道のりなのかも知れん。


やすくんとは、
いくつかのバンドの鍵盤として出会っているが、
おれの中で、
高橋康宏として付き合ってて。

歩き続けている彼を、
好きだから、
いっしょに音をだしている。
それだけだ。

おれは、太陽族のメンバーが2人やめた時、
そら坊がのこってくれて、
「ふたり」を作った。

やすくんは、
ひとりだった。


その中で、CDを作り、音を鳴らしていく感情を、
おれはすくなからずわかっているつもりだ。

やすくんの100分の1くらいだと思うが、実際は。

応援したい、とかじゃないんだ、
好きなんだ。





ブギージャックもそう。


そして、今、
バンドや、弾きがたりで、音を鳴らせているのが、
おれのファイティングポーズです。

弾きがたりも、
「バンドでこれないから、弾きがたりやります。」
的なボーカルがいるが、ちがう。

「花男」

として、まっすぐ裸で歌いたい。



そう思えるのは、
自分の体の中にある、
歌え、と、叫んでいる自分と、
太陽族やっていなかったら出会ってなかった、
みんながいるからです。


ありがとう。

今年もよろしくお願いします。

ほな、まだ歌いますかー!


花男