こんにちはw
大洋ハウジングの道下です。
今日は家相について少しお話ししたいと思います。
家相の発祥地の中国では、その昔、東北方の民族に幾度となく侵略されてきました。
そのため紀元前200年頃、秦の始皇帝が大きな万里の長城を築きましたが
それでも脅威を抑えることはできませんでした。
その上、毎年シベリア・オホーツク海方面の東北の方向から襲ってくる
季節風の猛烈な暴風のために、都度となく、家も田畑も散々な被害を受け、
多くの人々の生命が失われました。
従って中国文化の中心であった黄河の中流域の人々にとっては、
東北の方位はまさに恐るべき悪魔の方向だったのです。
中国語で鬼というのは、仏教の言葉で悪魔のことですから、
悪魔が襲ってくる東北の方向を『鬼門』と称したと伝えられています。
それらが後に日本に伝わり、
江戸時代に、徳川家康へ「お家断絶」を避ける方法として
鬼門の方角を大切にせよとアドバイスする元となりました。
そこで江戸城からみて北東に寛永寺を、南西(裏鬼門)に増上寺を設置し大切にしたのです。
徳川家康が鬼門を大切にした事が、段々と変化し、
「鬼門は恐ろしい」「鬼門は凶方」というものになり、定着してしまったと伝えられています。
昔から伝わっている『家相』は、
理論にあっているものと迷信といわれているものが、混在しています。
日本に置き換えるとすべてが、あてはまるものではないかもしれません。
しかも同じ事でも、全く逆の説があったり地域や時代とともに変化しています。
基本的な理論にかなった正しい知識の部分を理解し、
悲観的にならずにプラス思考で解釈したいものですね。