こんにちは、東京都港区乃木坂にある整体「フィジカルマネジメント太陽堂」の中田です。

2011年3つ目に面接行ったのは、東京都中央区築地にある「つきぢ整骨院」。
都心で働こうというミーハー心が働きました。

そこで、私の恩人である飯高先生に出会いました。
飯高先生は、雪山の治療院でスキーで骨折や脱臼をした人の応急処置をしてふもとの病院に送る。などという経験を持つ超正統派の柔道整復師。

ケガをしたとき炎症を沈める自家製の湿布やサラシを巻くなど、柔道整復師らしい仕事を初めてしました。

でも、僕は不器用なのでこれがうまくできない。
湿布の薬剤が、「均等」に「きれい」になかなか塗れない。

でもこの湿布やっぱりスゴいです。
腫れが強い足首の捻挫でも足首の骨のズレを直して(これ重要)、自家製湿布を巻いて包帯固定。

これで、想定よりも早く腫れがひくのを何度もみました。さすが。

ちなみに、僕はテーピング柔整師(自称)と名乗るくらい包帯巻くのが下手です。
よく院長にやり直ししていただいてました。すみません。

つきぢ整骨院は、中央区役所や築地警察署のすぐそばにあり、歌舞伎役者さんや、警察官の方、市場の方や医療関係の方も駆け込んでくる整骨院。

自分の知らないいろんな仕事の方の話を聞けるのは、とても楽しかったです。

院長には、自分がリハビリの仕事をしたいんだ。
とよく話をしたと思います。

仲間も勉強熱心な人が多く、腰のリハビリ(実体験を交え)、ケガのリハビリについて学び合いました。

でも、入社時から半年で退職するつもりでした。すみません。  

太陽整骨院時代の先輩から、
「1年ほかをみてからおいで」
と言われて半年。
先輩には、3か月待ってもらい、9カ月勤務して、つきぢ整骨院を退職しました。

2012年6月より、太陽整骨院時代の先輩の働く整骨院で働くことになりました。

僕は、千葉の鎌ヶ谷。
勤務地は、横浜青葉区。
当初の予定では、1年修行しながら青葉区で家を借りる予定でした。

ところが、お金がたまっていません。
後で触れる機会があるかと思いますが、この時期セックス依存性で貯金が全くできない状態になってました。

鎌ヶ谷~青葉区まで通いはじめましたが、3ヶ月で退職。
その先生のところは、完全に成果主義。
何もない状態でしたら、じっくり力をつけていけました。

しかし、経済的理由からそれができなかったのが一番の理由になりました。


いろいろ受け入れ体制を整えてくださった先生を裏切ることになってしまったのが、本当に申し訳なく思ってます。


しっかり立て直しして、あのときの非礼をお詫びできるようになりたいと思ってます。

この先輩の先生は、私が柔道整復師になってから、目標としていた方でこの先生の元で学び続けたいと思う方でした。


それが、わずか3ヶ月で終了。
目標を失い、ポッカリ空いてしまいました。

しかし、働かなくてはいけません。

父親のこともありますし、自宅から近いところに、何店舗も系列店のある整骨院グループで勤務することになりました。

これが、僕の大きな転機になりました。

自己紹介⑥武者修行③に続く