8年間お世話になった太陽整骨院を2011年3月で退職。
4月から全国展開してる整骨院グループで働くことになりました。
「自分の技術は通用するか?」
結果、通用しませんでした(笑)
1から勉強。「操体法」という手技を学ぶことに。
ただ、この会社はなんと3ヶ月で退社。
しっかり「操体法」を学ぶことは
できませんでした。
僕の父親が進行性の肺癌のステージ3、すでに脳に行く血管にまで癌が転移しているのがわかり、余命わずか。
父親と過ごす時間を作ろうとしたのが、わずか3か月で退職した理由です。
抗がん剤治療をすると、体に負担が大きく歩けなくなってしまうので、車で病院まで送り迎えをするようになったり、仕事を休ませていただくことが増えたんです。
技術をすべて学ぶことはできなかったのですが、ここでは大事なマインドを学びました。
それは、「本気になること」
僕は、真面目だと思います。
時間は守るし、決められたことは当たり前ですが守りますし。
ただ、「バカになるほど本気になる」
ことは今までなかった。
逃げグセついてたましたから(笑)
「バカと呼ばれるくらい本気になる」
ここで学んだ大きなことです。
それは、今も生きてます。感謝。
次は、ご縁をいただきまして、介護業界未経験ながら「デイサービス」の所長をしました。
経営が傾いていて、整体を再起のきっかけにしようと社長はしたみたいですが、全く力が足りず施設は閉鎖。
その施設は、お泊まりサービスのあるデイサービスで夜勤もあり、食事もスタッフがつくる施設。
煮物やお味噌汁の作り方学びました。
たぶん、煮物は味がちゃんと染みてないし、お味噌汁はベテランの方が作る美味しいお味噌汁とは、違う申し訳ない出来でしたけど。
はじめて経験した介護業界。
オムツ交換、入浴介助やトイレ介助、食事介助。
ちょうど父親の病気もあり、自分事として受け止められました。
ただ雑だったので、本当に申し訳なかったと反省してます。
僕は、この施設の職員さんで嫌いな方がいたんです。
ベテランで仕事はできるんだけど、利用者の方を、物のように扱う感じ。
認知症の方に「どうせわからないだろう」とばかにしたような態度。
認知症の方は、ちゃんと感情ある人間なので気分を害したような顔されてました。何も言葉にしませんでしたけど。
ただその人がいないと仕事がまわらない。
そんな人に限ってオーナーのお気に入り。
なんかイライラしてキレまくってました(笑)器ちいさいです。
「中田はすぐ怒る」と言われてました。
※基本、僕は温厚な人間です。
そんなことを言われたのは生まれて初めてです。
結局、3ヶ月で施設は閉鎖。
この施設で働いた経験から、
・介護される人の尊厳を守る
・元気なうちからしっかり健康でいるために努力は必要
と改めて、強く思うようになりました。
施設を作るのは働く人です。
いい方ももちろんいますが、利用者を物のように扱う「もし自分がその立場だったら」という想像力のない人がいることもたしかなので。
そんな施設に入ったら、死ぬまでそこにいなくては、いけないとしたら。
もう人が生きる場所でなく、家畜と同じように、ただ食事を与えられ飼われているようなものです。
そんなところに自分の親や自分自身が入らなくてはいけない。冗談じゃありません。
ちょっと、気分を沈めましょう。
この施設で働いて目覚めたことがあります。
「韓流ドラマ」です。
ちょうど夕食を作っているとき、やっていた「レディプレジデント」。
ドはまりして、ツタヤで何度もレンタルするくらい気に入りました。
チャングムはみてたんですけどね。
このドラマで、クォン・サンウが好きになりました。
クォン・サンウって1976年8月5日生まれ。
僕は1977年8月6日生まれ。
勝手に親近感覚えました。
似てると言われませんが、言われたら喜びます。
ちなみに、品川庄司の庄司智春さんには、よく似てるといわれます。
あんなにマッチョではないですけど。
2011年4月~9月までの半年で、僕は仕事を2つ経験しました。
結局、2年間で5箇所経験することになるのですが、続きは武者修行②でお話します。
自己紹介⑤武者修行②に続く
4月から全国展開してる整骨院グループで働くことになりました。
「自分の技術は通用するか?」
結果、通用しませんでした(笑)
1から勉強。「操体法」という手技を学ぶことに。
ただ、この会社はなんと3ヶ月で退社。
しっかり「操体法」を学ぶことは
できませんでした。
僕の父親が進行性の肺癌のステージ3、すでに脳に行く血管にまで癌が転移しているのがわかり、余命わずか。
父親と過ごす時間を作ろうとしたのが、わずか3か月で退職した理由です。
抗がん剤治療をすると、体に負担が大きく歩けなくなってしまうので、車で病院まで送り迎えをするようになったり、仕事を休ませていただくことが増えたんです。
技術をすべて学ぶことはできなかったのですが、ここでは大事なマインドを学びました。
それは、「本気になること」
僕は、真面目だと思います。
時間は守るし、決められたことは当たり前ですが守りますし。
ただ、「バカになるほど本気になる」
ことは今までなかった。
逃げグセついてたましたから(笑)
「バカと呼ばれるくらい本気になる」
ここで学んだ大きなことです。
それは、今も生きてます。感謝。
次は、ご縁をいただきまして、介護業界未経験ながら「デイサービス」の所長をしました。
経営が傾いていて、整体を再起のきっかけにしようと社長はしたみたいですが、全く力が足りず施設は閉鎖。
その施設は、お泊まりサービスのあるデイサービスで夜勤もあり、食事もスタッフがつくる施設。
煮物やお味噌汁の作り方学びました。
たぶん、煮物は味がちゃんと染みてないし、お味噌汁はベテランの方が作る美味しいお味噌汁とは、違う申し訳ない出来でしたけど。
はじめて経験した介護業界。
オムツ交換、入浴介助やトイレ介助、食事介助。
ちょうど父親の病気もあり、自分事として受け止められました。
ただ雑だったので、本当に申し訳なかったと反省してます。
僕は、この施設の職員さんで嫌いな方がいたんです。
ベテランで仕事はできるんだけど、利用者の方を、物のように扱う感じ。
認知症の方に「どうせわからないだろう」とばかにしたような態度。
認知症の方は、ちゃんと感情ある人間なので気分を害したような顔されてました。何も言葉にしませんでしたけど。
ただその人がいないと仕事がまわらない。
そんな人に限ってオーナーのお気に入り。
なんかイライラしてキレまくってました(笑)器ちいさいです。
「中田はすぐ怒る」と言われてました。
※基本、僕は温厚な人間です。
そんなことを言われたのは生まれて初めてです。
結局、3ヶ月で施設は閉鎖。
この施設で働いた経験から、
・介護される人の尊厳を守る
・元気なうちからしっかり健康でいるために努力は必要
と改めて、強く思うようになりました。
施設を作るのは働く人です。
いい方ももちろんいますが、利用者を物のように扱う「もし自分がその立場だったら」という想像力のない人がいることもたしかなので。
そんな施設に入ったら、死ぬまでそこにいなくては、いけないとしたら。
もう人が生きる場所でなく、家畜と同じように、ただ食事を与えられ飼われているようなものです。
そんなところに自分の親や自分自身が入らなくてはいけない。冗談じゃありません。
ちょっと、気分を沈めましょう。
この施設で働いて目覚めたことがあります。
「韓流ドラマ」です。
ちょうど夕食を作っているとき、やっていた「レディプレジデント」。
ドはまりして、ツタヤで何度もレンタルするくらい気に入りました。
チャングムはみてたんですけどね。
このドラマで、クォン・サンウが好きになりました。
クォン・サンウって1976年8月5日生まれ。
僕は1977年8月6日生まれ。
勝手に親近感覚えました。
似てると言われませんが、言われたら喜びます。
ちなみに、品川庄司の庄司智春さんには、よく似てるといわれます。
あんなにマッチョではないですけど。
2011年4月~9月までの半年で、僕は仕事を2つ経験しました。
結局、2年間で5箇所経験することになるのですが、続きは武者修行②でお話します。
自己紹介⑤武者修行②に続く