「身体を診ただけで、なんでそこまでわかっちゃうんですか?」


よく言われます。

自覚されている痛みや不調だけでなく、本人がまだ気づいてない不調、それらの原因となっている家庭環境や人間関係、果ては昨日食べたものまで言い当てられたら、それはそう言いたくなるのはわかる(^^)。


別に当てたいわけで全くなく、訊いてしまった方が早いに決まっているので、訊くようにはしているが。本人がまだ気づいてないことや、言いたくない事などもあるから、口に出す意味のある時だけ喋るだけだが……


 *


指先で、硬結(筋肉組織にあるコリ)を探したり、骨格の歪みを触覚で読み取ったり。指先から得られる情報は思っているより多い。


もちろん、喋り方、立ち居振る舞いなどからも、多くの情報が読み取れる。整體指導などで、会っている機会が多いほど、その精度は上がっていく。


それらを重ねて、


「この人の状態はこうだ!」


という確信が腹の中からふつと浮いてくる。


昨日の整體指導でも、


「寒い」


という感情を伴った言葉が腹にふっと浮き出た。


不調者さんに、遠赤外線ドームを勧めてみたら、


「まさにこの感じが欲しかったんです!!私、お風呂では必ずのぼせるので、身体の温め方がわからなくて」


と感激されていた。不調自体は、不整脈、食欲不振、過度の倦怠感などなどが不定愁訴の枠に収まらないレベルまで来ている状態だった。


しかし、首尾よく全身を温めきったあとには、血色も良く、脈も安定しているようだ。


「何も言わなかったのに、なんで分かったんですか?」


と聞かれたが。不整脈、食欲不振……と訴える言葉を頭の中で指からくる情報と付き合わせて答え合わせをしつつ、情報を取捨選択していく(多くは間違いか勘違いのジャンク情報)。そしてさらに、私の中で腹落ちしたものだけを統合しながら、ここでできそうな事を選んだまでだ。


これもまた、ヒトとヒトの感応というものなのだろうが、どこまでも奥深いものだと感心する。

こんな記事を見て、やはりな、と思い返している。



 *


「心身調律」って言葉を思いついたのは、胃癌からの回復に手こずっている時だった。


食事のたびに、2時間は静かにしてないと動けない。食べた物が、無いはずの胃の中でジクジクと熾火のようにその存在を主張してるような2時間は、黙って耐えるだけの拷問だった。


空腸と直接繋がれた食道は、逆流した腸液により慢性の炎症を起こしていた。


初めて“鬱的な精神状態”を自覚した。


その後、肩の炎症、関節炎、打ち身による炎症など、身体に炎症が起こるたびに、“あの鬱的“が訪れてくるのを自覚していた。


そこから、逆の作用もあると思い、炎症を抑えることで精神の安定を図る研究を始めた。


野口整体をはじめとする整体的技法の中で、炎症を抑えていく物を集めたり、食物(含むサプリ)の技法などがある程度カタチを成したときに、『心身調律』を名乗り始めた。


身体を整えれば、心は壊れにくい。


これは“直す“とか“治す“と捉えているとうまくゆかない。


今の状態に沿って塩梅を加減していく。まさに


調律


というのがピッタリとくる。その人がいま奏でられる調、これから奏でたい調に向けて調整をかけていく。


根気強い観察と、しっかりとた見通しが求められる。

「帰り道で既に……」


 *


ここ一年ほど不定期に整體指導している方。

待望の妊娠をされて、さぁこれから!という時に医師から「心音が聞こえない」と告げられ、流産への流れになったそう。


病院の指示通り、経過観察で過ごしていたが、どうも不全流産の様子。


「胎嚢の手術は嫌なんだけどなぁ」


ご本人も医療従事者なので、そのおっしゃる意味は深い。


「まぁ、ダメ元で良いなら……」


とある操法を行い、その後過ごし方を指導する。さて、こちらも経過観察と決め込む。


 ・・・


後日、様子を聞く機会があり。


「帰り道で既に異変を感じて、そのまま……」


とお手洗いで娩出したと。その後、病院に行って確かめたが、子宮はきれいになっていた事が確認された。


「全て自然に終える事ができました。」


と感謝され、


「この事に気を落とさずに。流産と言えど、中途までは妊娠し、出産をしたのだから。体験を経て、身体は必ず強くなっていく。この経験が、より健康で健全な妊娠、出産への足がかりになる。」


と、野口晴哉先生の受け売りをお伝えして、栄養指導を行った。


 **


今回は、昔にたまたま偶然に習った『堕胎の法』をかなり弱めに施して成果を得た。この法は、既に当時から禁術とされていて、私も一生使う事は無いだろうと思っていた。

しかし今回、ふと我が師の顔と共にこの操法が頭に浮かび、(そうだ!やってみるか……)


となった。習ってから20年近く経っているが、その間に積み上げてきたその他の整體指導の経験が、的確にその技法を選択させ、出力を調節させ、安心して経過を見守らせてくれた。


今は亡き師に、会ってご報告したい、と暫くぶりにしみじみと振り返った。