女は恥じらっているのか、それとも慣れていないのか
すぐに甲板から降りようとはしなかった。男は苛立って
いる風でも焦っているようでもなく、ただ潮風に晒された
女の背中をじっと見つめていた。
「肌寒くないか?」
男は女を強引に抱き寄せようとはしなかった。優しい色
に染められた柔らかなシフォンのストールをそっと掛け
てやった。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたの。」
女には男に問えない疑念がいくつかあった男が時折
ふと見せる孤独な表情。底の知れない闇を宿した眸。
それでも船の上(ここ)はマスカレード。男の嘘を暴くこと
はできない。今宵だけは特別な時間(とき)。ほんの一夜
の夢(パラダイス)。わかっていた知らない世界に導かれ
るということ。自分もそれをずっと望んでいた。
「後悔してるのか?」
女は首を横に振って男を見つめ返した。眸は艶やか
に濡れていた。
すらりとした男の指が女の肩に触れると羽織っていた
ストールがするりと床に落ちた。
今度こそ男は逞しい力強い腕で女を抱き寄せた。微かに
鼻腔をくすぐる香りは危険な賭けに男を引き入れる。持ち
かけられた法外な報酬。ミッションは『一人の女を消す』
ことだ。
『きみを悲しませることなら何億年でも隠しきってみせる』
「ようこそSeaclet Lady。連れて行こうAnother worldへ。」
軽く床を打つ背中の感触を感じながら女はそっと目を閉じた。
Fine