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第4章「自我の幻想」

4-2「自我と偽りの自律」

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自我は完全に独力で成り立って自立していると信じていますが、それは単に、自我が自分の起源をどのようなものと考えているのかを、別の方法で描き出しているに過ぎません。
これは確かに恐ろしい状態なので、自我は他の自我に頼るしかなく、一体感を持ちたいという思いから弱々しい試みとして団結してみたり、強さを誇示する為に攻撃してみたりします。
しかし、自我はこの前提を疑問に持ち出すわけにはいきません。
なぜなら、この前提こそが自我の土台だからです。
自我とは、心が持つ「自分は完全に自律している」という信念のことです。
自我は絶えず、霊(Spirit)からの承認を獲得しようとして、それによって自らの存在を確立しようと試みていますが、それは無益なことです。
叡智の中にある霊(Spirit)は、自我を自覚してはいません。
霊(Spirit)は自我を攻撃しません。
ただ自我というものを全く思い描くことが出来ないだけです。
自我も同じように霊(Spirit)を自覚していませんが、何か自分よりも偉大なものに拒絶されていると知覚しているのは確かです。
それ故に、自我の言う「自尊心」は妄想的なものであるに違いありません。
神が創造したものが神話を創造することはありません。
とはいえ、創造しようとする努力が神話作りに向けられることはあります。
しかし、それはただ一つの条件の下で可能となります。
つまり、それが作り出すものは、もはや創造的ではないという条件です。
神話とは全て知覚によるものであり、したがって、その形は曖昧で、その特徴として「善」と「悪」を本質とするので、最も慈悲深い神話でさえ、恐ろしい暗示的な意味合いを含んでいないものはありません。

 

ACIM-ワークブック-レッスン225

 

神は、私の父です。そして、神の子を神は愛しています。

 

 

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