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第4章「自我の幻想」

4-2「自我と偽りの自律」

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あなた自身の心の状態が、自我がどのようにして作り出されたのかを実証する良い例です。
あなたは、自分で叡智を投げ捨てた時、まるでその叡智はもともと自分のものではなかったかのようになります。
このことは極めて明白であるので、今そうなっているとただ気づきさえすれば、それは確かに起こり得るものだと分かります。
もし、これが現在でも起こっているなら、同じことが過去にも起こったからといって驚きはしないはずでしょう。
驚きとは、よく知らない物事に対してならもっともな反応ですが、そのように執拗に起こり続けていることに対しては、適切であるとは言えません。
しかし、今のところ心がそのように働いているのは確かですが、必ずしも心をそのように働かせる必要はないということを忘れてはなりません。

 

特別解説1 「赦しとは何か」

赦しは、 兄弟が自分にしたとあなたが思っていたことは実はおこってなどい なかったのだと気づくことです。

赦しは、罪を許して、その罪を実在化にすることではありません。

赦しは、罪など何一つないと見ることです。

そして、そのような見方をすることで、 あなたの全ての罪は赦されることになります。

罪とは、 神の子についての間違った想念以外の何ものでもないのではないで しょうか。

赦しは、単に、その間違いを見て、それから、それを手放します。

そうすれば、罪のあった場所に、心置きなく取って代わるのは、 今や神の意志です。

赦さない思いというのは、それが真理でないにもかかわらず、 疑問を呈することもなく、価値判断をして裁くことです。

こんな心は閉ざされ、解放されることはなくなってしまいます。

赦さない思いは、投影を守ろうとして、 束縛を厳しくしようとします。

そのため、歪曲はもっと覆い隠されて、より不明瞭になります。

そうなると、容易に疑いを抱くこともできず、 さらには理性的な判断すら困難な状態になって今します。

凝り固まった投影と赦さない思いが自らの望みとして選んだ目標と の間に、 何がいったい割って入ることができるというのでしょうか。

赦さない思いは、多くの所業をなします。

死にもの狂いで、赦さない思いはその目標を追い求めます。

その際には、 自分が選んだ道の障害物のように見るものことを捻じ曲げたり、 ひっくり返したりします。

歪曲こそが赦さない思いの目的です。そして、 歪曲こそが赦さない思いを首尾よく遂げるための手段です。

赦さない思いは、 自分の観点に矛盾するように見える物事に対しては何の容赦もなく 、現実を粉々に打ち砕こうと猛烈な攻撃を仕掛けます。

他方で、赦しは、静かに落ち着いて何もしようとはしません。

赦しは、現実のどの側面をも攻撃しようとはしません。

また、 現実を自分の好きな見かけ上の姿に捻じ曲げようともしません。

赦しは、単に見つめて待つだけで、裁くことはありません。

赦そうとしない人は、裁きを下さざるをえません。

というのも、 彼は自分が赦し損ねたことを正当化しなければならないからです。

しかし、自分自身を赦そうとする者は、 真理をちょうどあるがままに喜んで受け入れることを学ばなければ なりません。

そうだとすれば、何もせず、聖書を通して、 赦すために自分が何をすべきか示してもらうようにすればよいので す。

その聖書は、あなたのガイドであり、 あなたの救い主であると同時に守護者であって、 強い期待を抱きながら、 あなたの最終的な成功を確信しているのです。

聖霊は、既にあなたを赦してくれています。

というのも、それこそが聖霊が神から授けられた機能だからです。

今こそ、あなたは聖霊の機能を分かち合い、そして、 聖霊が救いだそうとし、聖霊が罪のない者と見ていて、 聖霊が神の子として敬っているその人のことを赦さなければなりません。

 

 

ACIM-ワークブック-レッスン220

 

(レッスン200)神の平安以外に平安など存在しません。

 

 

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