私の母(9人兄弟)は、昭和34年に父と結婚しました。

父のひとめぼれだったと聞いています。

母の姉が豆腐屋に嫁いでおり、その豆腐屋の配達を、たまたま手伝っている姿を見て

「この人を嫁にしたい」と思い、母の実家に、結婚を申しいれたそうです。

 

私の実家は、農業(稲作)と漁業(ノリ養殖)をしておりました。当時は、嫁と言えば、貴重な労働力でした。母の父(私から見れば祖父)は、迷ったそうです。ほかにも、母を嫁にという方(会社勤め)がいたからです。

裸一貫から自力で土地を求め苦労してきた祖父は

「ノリ養殖など手伝わなくてよい」と言う事だったので、兄弟こそ多いが、土地を持っているし、生活に困ることはないと考え、父との結婚を承諾しました。

 

しかし、嫁いだ母に待っていたのは、過酷な現実でした。話は完全に嘘でした。農作業・ノリ養殖、こき使われました。

私がお腹にいるときも、出産まで一切休みは与えられず、私は10か月以上母のお腹にいたにもかかわらず、生まれた時は、首にへその緒が巻き付いており仮死状態、2200グラムでした。

 

また、結婚前にはまったく知らされていなかったのですが、日本脳炎が原因で知的障害となった叔母が同居していました。この叔母は、いたって健康、知能レベルは小学生。祖母が好き放題に甘やかせたせいで、父や母のいう事を全く聞きませんでした。私たち兄弟は、幼少の時から、些細なことで叔母に追い掛け回され、足腰が立たなくなるまで、何度も激しい暴行を受けました。

父が注意すると包丁を父に突き付けました。思い出してもぞっとします。それでも、祖母はおばを甘やかし続け、父と母をなじり続けました。にも関わらず、おばの面倒を見続けたのですから、立派だったと思います。

 

祖母がここまで父と母を嫌ったのは原因がありました。父から聞いた話ですが、縁談が父にはありました。相手は資産家の娘です。しかし、その娘さんには、知的障害が少しあり、父はどうしても受け入れられなかったという事でした。9人兄弟ですから、資産家の娘と結婚すれば、余裕ができると祖母は考えていたということです。しかし、父は、母を選んだ。ここから、確執が始まったようです。

 

ならば、父を跡取りにしないで、ほかの子供と同居すればよかったと思うのですが、父のほかの兄弟は、知的障害のわがままな叔母との同居を、みんな拒否したそうです。そして、人の良い父が、結局は残ったという経緯です。まさに貧乏くじを引いたということになります。

 

子供ながらに覚えていますが、祖母の根性は曲がっていました。祖母を含めその友人は、暇を持て余し集まってきては、みんなそろって、人の悪口ばかり言っていました。それに加えて、本当に問題だったのは、父の兄弟に、父と母のありもしない悪口を年がら年中言っていたことでした。

 

長男である父は、何も知らずに盆や正月には、帰省してくる兄弟のために、盛大なごちそうをふるまいました。父には大きな出費でした。そのため、蓄えなどあまりできませんでした。

母は嫁いびりに耐える日々を送っていました。母は常に働いていました。嫁いでから、やせ細りました。

 

ただ、父方の祖父は多くを語らない人でしたが、道理のわかる人でした。私たち孫を心から可愛がってくれました。それが母にとっては唯一の救いだったと思います。