信州旅情(4) ~黒部ダムどうやって作ったのか?~ | 武蔵野台地調査隊

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 戦国時代末期のこと、富山城主佐々成政は、加賀の前田・越後の上杉に挟まれ四面楚歌だったため、真冬の黒部渓谷を8日間で越えて浜松の徳川家康のところに援助を頼みに行った。ところが家康に断られてまた、黒部を越えて富山に戻ったという嘘のようなエピソードがあります。

 ダムと言えば今は八ツ場(やんば)ダムが旬ですが、あのどでかい黒部ダムはどうやって作ったのでしょうか?
 まず、上から見たダムの形に着目してみましょう。黒部ダムは、上流側に突き出したアーチ形状をしています。これは、水圧に最も安定した構造となっていて、両サイドを岩盤で支えています。

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 これだけ巨大なコンクリートはどうやって打った(固めた)のでしょう?それは、全体を下から小分けにして積み上げていく方式で作りました。木で型枠を組んで、その中にコンクリートを入れます。でもダムの底部は谷底にあるので、コンクリートバケットという大きな容器に生コンを入れて、ワイヤークレーンで下ろしたのです(上の絵図参照)。
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 数えきれないくらいの回数繰り返してようやく巨大なダムの堤体が出来上がりました。


 こちらは、約50歳のコンクリートです。だいぶ表面に凹凸がありますが、硬くてまだまだ強度は大丈夫です。
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大町トンネル(黒部の太陽の工事)