高校受験戦績2勝1敗(第一志望公立○ 滑り止め私立1勝1敗)


偏差値50程度の地域トップ自称進学校にギリギリで入った僕は、中学同様カリキュラムに引き摺られて勉強になんとかついていった。

しかし1年前期の数Ⅰで応用問題に手こずり初めて数学で挫折を経験した。


元々中学では勉強をせず上位3位〜10位、中3受験期の定期テストは10〜15位程度だった。(※田舎の低レベル中学校であるため、授業聞いてれば誰でも点数を取れるレベルの定期テストだった。)


国数理社なんて得意中の得意、唯一英語だけ授業を斜に構えて聞いていたためよくわからなかった。友達から数学のわからない問題を聞かれるのなんていつもだった。


そんな僕が高校に入って、正直周りレベル高い奴らばっかなんだろうなと思っていた(※が、実際そうでもなかった)。

僕はあんま上の方じゃないという思い込みで斜に構え、なんもわからないキャラで通していた。


そもそもあんまり大学に興味を持っていなくて、なんとなく知名度のある大学に行ければいいと思っていた。

国公立とかよくわからなかったので、はなから私大志望、箱根駅伝見るのが好きで、当時そこで名前を馳せていた、駒澤志望だった。


国公立の道も考えたが、数学に挫折してからはもう思いっきり私立文系志望に切り替えた。

理科も得意だったが使わないと気づき、少しずつ理解できなくなっていった。


1年生は部活と恋愛に打ち込み、勉強はなあなあに過ごしていた。


2年生になり、彼女に振られ、部活にさらに打ち込み始めた。芸術系の学科に行きたいと思うくらい音楽に熱中し、模試で志望校を日芸とか、玉川芸術とか書いたりした。

そんな時、父親に「志望校、早稲田とか目指したらどうだ。残り2年あったらお前ならいけると思うぞ。そんなテキトーなとこ行っても太陽は今のままで変わらないと思う。周りがレベル高ければ自ずとお前も高くなる。」とそんなようなことを言われた。

父は高校3年秋から勉強を始め、一浪して早稲田に合格した人間だ。説得力はあった。


そこで高二の秋、志望校を一気に上げて、日芸から早稲田にした。


そこから僕の大学受験が始まった。やってたバンドも活動休止にして、部活に行かない日々が続き、数学の先生には宣言して、内職させてもらって、理科の授業も勝手に内職して、

自分は英語ができなかったので、本気で英語克服しようと思い励んだ。


(ただ、まあ今考えればとても安直で、努力の方向は遠回りだったと思う。もっと効率を求め、自分を追い込んでれば結果は違かったと思う。)


まあ模試では当然E判定、でも僕には早稲田死なないと思った。早稲田がかっこいいと思った、何としても早稲田に行きたいと思った。