”個性を大切に”と”褒める”は逆相関?その①

 

先日
とある幼稚園の
園長先生とお話させていただく

機会に恵まれました!

 

難関高校の

付属幼稚園ということで

ゴリゴリ知育優先の教育風景を

想像していたのです‥

 

な、な、なんとっ!?

 

その幼稚園では
子どもの個性

最も大切にし
個性を伸ばし
自己肯定感を
高める保育

を実践されているそうです!

 

(いい意味で期待を裏切られて嬉しいっ!!)


”個性を大切に”って
素敵だなぁと思い
質問をしてみました。

   具体的にどんなことを
   実践されているのですか?



   とにかく褒めてあげます。
   何かできたら褒めてあげます。
   上手にできたら褒めてあげます。
   我慢できたら褒めてあげます。



   なるほど‥

   例えば最近
   どんなことをされましたか?

   何か具体例をご紹介いただけませんか?


   最近、子どもたちの発表会がありました。

   閉会式の際
   お父さん、お母さんの前で
   そのことを褒めてあげました。

 

   ご家族の皆さまにも
   お家に帰ったら
   是非褒めてあげてくださいと
   お願いしました。



理解が追いつかないので
更に質問させていただきました。

   ”褒めてあげた”とは
   具体的に
   何をどう褒めたのですか?



   毎日練習頑張ったね!
   偉かったね!


   発表も上手にできたね!
   先生嬉しかったよ!



さて
”個性”の話は
一体どこにいったのでしょうか?

 

 

”十人十色”
そんな言葉があるように
個性とは
園児の数だけ存在するハズです。


「具体的に」と尋ねたのは
”誰か”を例に
具体的なやり取りを
ご紹介いただけると
期待しての質問だったのですが‥。


このやり取りから
色んな疑問が生じます。

”個性”とは何なのか?

そもそも
個性は”伸ばす”ものなのか?

”褒める”とは
どういうことなのか?
何のために褒めるのか?


1つずつ紐解いていきます。
 

 

 

  ”個性”とは何か?


背が高い

これは個性でしょうか?


足が速い

これも個性でしょうか?


確かに個性かもしれません。


しかし
ボクたち親が
本当に見つめるべき個性とは
そんな表面的な個性なのでしょうか?


ジックリと腰を据えて
物事に乗り組みたい!

と考える人がいれば


とにかく動き回って
何かしていないと
落ち着かない!

という人もいます。


友だちは沢山いた方がいい!

と考える人がいれば
 

心から信頼できる友だちが
1人でもいてくれればそれでいい!

と考える人もいます。


ボクはこういうこと
つまり人としての本質こそ
親として
教育者として
見つめるべき”個性”だと思っています。



であるならば
個性を伸ばす
という言葉の意味が
よくわからなくなります。


そもそも
人の本質的な部分に
善悪の基準など存在しない
からです。

本質は本質です。

親も教育者も

理解し尊重する
ことしかできないのです。



もし親が
教育者が
その子の本質を無視したまま
表面的な個性を伸ばすことを目指すと
どのようなことが起こるのでしょうか?


   小さい頃から
   走るのが速いという理由で
   陸上部への入部を促し
   レースで入賞する度に
   褒めて褒めて褒めまくる。

   本当は走るのは好きじゃないのに。
   もう走りたくないのに。
   他にやりたいことがあるのに。

   親や周囲の期待を裏切りたくないと
   自分を偽って走り続ける。


こんなことが起こるかもしれません。


”速く走る”という”才能”
伸ばしたのかもしれない。

けど
個性を大切にした
言えるのでしょうか?


これは
理想の育児・教育でしょうか?


長くなってきたので
続きは次回にさせてください!


次回は
”褒める”について
考えてみようと思います。

褒めるとは何か?
個性を大切にするとはどういうことか?
この2つはどのような関係性があるのか?

そのことについて
考えてみようと思います!