好き嫌い言わない!ってどういう意味?

 

昨日、次男(2歳)が

お弁当の中身を物色しながら

自分の食べたい物だけを

選んで食べているのを見て

「好き嫌いしない!」

と注意を促したところ

隣りにいたお母さんから

「久し振りにその言葉を聞きました!」

と言われ

こんなやり取りをしました。

 

ボク

「え?

好き嫌いはダメだよって

お子さんに言わないんですか?」

 

お母さん

「ん~、言ったことないですね。

子どもの頃に親から言われてきましたが

私は言ったことがないです。」

 

ボク

「ぇ!?

なんで言わなくなっちゃんですか?」

 

お母さん

「子どもの頃から

ずっと

オカシイなって思ってた

んですよね。

食べ物を嫌いって言うのは

悪いことかもしれませんが

好きって言うのは良いこと

じゃないですか。」

 

ボク

「あぁ、なるほど。

そういうことですね!」

 

 

ここまで話をすると

周囲にいたお母さんたちも

異口同音

「そーそー、私も思った!」

「だから言わないよね~」

と。

 

 

そうなんです。

皆さんこの言葉の

本質を理解されていない

んです。

 

 

同意と共感を得たお母さん同士が

嬉しそうに盛り上がってしまったので

反論はせずに引き下がりましたが

どうしてもアウトプットしたかったので

こちらに書いておきますw

 

 

そのお母さんたちのご両親が

仰りたかったのは

そういうことではないと

思うんですよね。

 

食べ物はどんな物でもすべからく

有り難くいただくもの

であって

好きか嫌いかで選ぶものではない

好きとか嫌いとか

そういう評価をすべきものではない

そういう意味で

仰っていたんじゃないでしょうか?

 

少なくとも

ボクはそういう意味で

子どもたちに伝えています。

 

ボクたちは生きるために

他の命を奪って生きています。

 

ボクたちが口にするものは

ほぼ全て命です。

命を奪わずにいただけるものは

水と塩くらいじゃないでしょうか。

 

衣服や寝具に使う綿も

紙やティッシュに使うパルプも

全て命です。

 

そういう犠牲のうえ

ボクたちは生かされているのです。

 

好きだとか嫌いだとか

そういうことを言うよりも

ボクたちにはやるべきことがあるんです。

 

胸の前で手を合わせ

目を閉じて

今からいただく命に対して

今日いただいた命に対して

ありがとうございます。

いただきます。

ごちそうさまでした。

 

 

食べ物を

好きだとか嫌いだとかと

評価することは

とてもとても傲慢なこと

に思えます。

 

 

 

子どもたちには

幸せになって欲しい。

それはどの親にとっても

共通の願いだと思います。

 

人が幸せになるためには

何が必要でしょうか?

あなたがイメージする

”幸せな人”

はどんな人ですか?

 

ボクのイメージでは

少なくとも

不満よりも

感謝の気持ちで満ちた人

です。

傲慢よりも

謙虚な人

です。

 

 

食育という言葉があります。

ボクが食育と聞いて真っ先に思い浮かべるのは

『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』

(映画のタイトルは「ブタがいた教室」)

です。

 

Pちゃんをいただく時に

あなたは好き嫌いを言えますか?

大切な大切な命をいただく。

心から愛したPちゃんの命をいただく。

そんな場面で。

 

Pちゃんはダメだけど

他のブタならOKですか?

他の命なら?

 

あなたにとっての

”食育”とは何でしょうか?

気付きを得るきっかけとなれば幸いです!