今回の写真は、おやじが高校入学祝いに近所の歯医者さんから戴いたカメラで最初に撮った鉄
道写真です。
カメラは嘗て一世を風靡したOLYMPUS PEN S
被写体はバラエティに富んだ「ことでん」の車両です。実はおやじが通学に利用し、とても好きだ
った30形の写真は見つかっていません・・・というか、撮った記憶さえ定かではありませんが。
それでは、志度線でのデビューの古い順にご覧ください。
当時は電車だけしか見えず、周囲を含めて撮る余裕は無かった様です。16歳、若き日のおやじ
であります。
(なお、形式等の情報は森 貴知 著「琴電100年のあゆみ」を参考にさせていただきました。)
昭和23年(1948年)東京急行電鉄より譲渡された3140形、ことでんでは60形64番車として
志度線などで運航されました。
昭和24年(1949年)山陽電鉄より譲渡された36型、ことでんでは80形84番車として志度線で運航
されました。
昭和30年(1955年)山陽電鉄1003形が、70形74番車として志度線に登場
最後は特徴的なフロントが印象的な10形11番車。京浜急行クハ120形を鋼体化して長尾線、志
度線で活躍しました。
もっと古い車両も撮ったと思います。ネガなりプリントを見つけたらまたご紹介します。