熊本地震の詳細(二日目)
2016年4月15日金曜。避難所の小学校校庭では大勢の車が停まっています。みなさん車内泊なのでコミュニケーションをとることはありませんでした。夜が明けたのと同時に、旦那は車が壊れてしまった旦那家族を義実家へ送り、私は一人自分の車でアパートへ戻ることにしました。昨夜は暗くて分かりませんでしたが、道路があちこち隆起したり割れたり、崩れたりしています。どこをどう走ったらいいのかわからず、慎重に、気を付けながら運転しました。五分ほどで自宅アパートへ。21時ころに地震が起きた時よりも状態が悪くなっていました。各住宅の窓が外れていて、玄関ドアが外れている部屋もありました。これじゃどんなに施錠しても、泥棒に簡単に入られてしまいますね。部屋の中は悲惨なことになっていました。とても風通しが良くなっています。窓が二階から外の地面まで落下して粉々になっていました。窓のない部屋ではびゅーびゅーと風が勢いよく入ってきて、家じゅうのものがバサバサと舞い上がっていました。冷蔵庫は足が生えたのかな?というくらい数メートル移動していました。が、ガムテープでドアを固定していたので、中身が飛び出すということはありませんでした。棚や花瓶や食器の破片が散らばっています。電気や水道は問題なく使えていました。ガスは確認していません。数分後、旦那が帰宅しましたが、すぐに仕事へと出かけていきました。こんな時まで仕事?これからの事、話す暇なんて少しもありませんでした。ひとり途方に暮れ、少しだけ眠ろうとベッドに転がりましたが、まったく眠ることができません。避難所へ再び移動しましたが、やはり校庭で車内待機するよりほかなく、数時間をぼーっとそこで過ごし、スーパーへ向かいました。前震のあとは、スーパーは通常通りに営業していました。私の町では買いだめする人もいなく、そこまで危機感はみなさん持っていないようでした。ちらりとみなさんのカゴを除くと、野菜やお肉など、今晩のおかずの材料だけを買っているように見えて、東日本大震災時、東京で水や食料の争奪戦を経験した私としては衝撃でした。正直、昨夜より大きい地震は来ないだろうと思っていました。けれど、もし流通が滞った場合食糧難がおこるのでは?と思っていたので、数日分の食料と日用品を買うことにしました。買ってよかったなと思ったもの。・トイレットペーパー・生理用品・ウェットティッシュ・バケツ・軍手・サランラップ・マスク・ガムテープ・ちくわなど練り物系・レトルト食品・缶詰・飲料水(2リットル)・カロリーメイト買えばよかったと後悔したもの・飲料水(500ml)・ブルーシート・野菜などのおかずになるもの約7,8千円ほど買い込みました。橋が渡れなくなっていたので遠回りして自宅へ帰りました。戻ってくると男の人が家の前をうろうろしていました。自転車で蛇行運転しながら、上下スエットのがたいのいい若い男の人でした。何度か見たことのある人なので、近所の人だろうとこの時は特に気にしませんでした。家に帰ると水が出なくなっていました。アパートの管理会社に朝から何度も電話をかけますが、一度もつながりません。少しお部屋を片付けました。お気に入りのワイングラスもコーヒーカップも、結婚を機にお母さんからもらったお皿も、数日前に買ったばかりの大きな花瓶もみんな割れていました。風が勢いよく窓から吹き込んでいるので、作業が思うように進みません。明日は雨の予報です。どうしよう?ふと窓の外を見ると、まだ上下スエットの若い男がうちの前をウロウロしていました。明らかにうちのアパートの前だけを何往復もしています。少し不審に思い始めていました。みんな避難したり仕事へ出ていて、今このアパートには私しかいません。駐車場には私の車しかないので、それは誰にでもわかることでした。それからしばらくして、家のチャイムが鳴ったのです。はーいと大きな声で答えながらドアを開けようとしましたが、ふと思いついてドアスコープから外をのぞいてみました。上下スエットの、あの男が立っています。心臓が止まりました。恐る恐る、インターフォンで応答しました。「どちらさまですか?」相手は何も答えません。時が止まっていました。なぜ、何も言わない?とてもドアを開けることはできませんでした。もしかしたら近所の人で何か用があったのかもしれませんが、なんだかとてもいやな悪寒がしたのです。怖くなって旦那に電話で話をしたら、30分後に旦那のお義父さんが窓ガラスは割れたけどなんとか運転のできる車で家に様子をみに来てくれました。一緒にアパートの外に出ると、上下スエットの男が通りの向こうでこちらの様子を見ていました。ぎょっとしていると、走って行ってしまいました。お義父さんも見ていましたが、「あれは近所のひとじゃない?」と言うだけだったので、私が過剰に怖がってるだけなのか、という気になってきました。もしかしたら恐怖を和らげるように言ってくれたのかもしれません。アパートのほかの住民も帰ってきたので、お義父さんにお礼を言って、再びひとり自分の部屋へ戻りました。すべての部屋に鍵をかけました。大きな地震が来たら、すぐに出られないかもしれません。でもこの時は地震への恐怖より、見知らぬ訪問者への恐怖のほうが大きかったのです。昨夜の地震から一睡もしていません。だんだん疲れてきました。時刻はお昼を過ぎていました。