コラムーー台湾行きっ戻りっ 第16回 | 台湾観光のブログ

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ゆっくり歩き、深く味わう旅

最南端のひとつ手前をてくてく

屏東県車城郷で魅力再発見

 

中国語などまともに知らず、台湾へひとりで行くのは初めてという旅で、通りすがりのトラックに乗せてもらった。30 歳を少し過ぎたころのことである。

 

高雄行きのフェリーで一緒になった日本在住の台湾人から「車城というところに古戦場があるよ」と聞かされて、興味に任せて行ってみたのである。ネットは普及しておらず、路線バスのダイヤもなかなか調べられない。幹線道路の台 26 線で目的地のそばまで行き、そこから歩きだしたが、目的地は見当たらない。路肩に停まっていたトラックの運転手に声を掛けたところ、身振りで「乗っていけ」と勧められた。

 

台湾島の南端にはリゾート地の墾丁を有する屏東県恒春鎮があるが、私が訪ねたのはその北にある車城郷である。海岸に漂着した沖縄・宮古島の人たちが犠牲になったことをきっかけに 1874 (明治 7)年の牡丹社事件(台湾出兵)と関係の深い場所である。牡丹社事件は、日本の台湾統治へとつながる出来事として知られるエポックだ。

 

昨年 1 月、その車城を訪れた。ひとりで行くのは 17 年ぶりである。

 

今回も台 26 線から歩くことになったが、スマホを使えば場所と時間が分かるので、不安はほとんどない。帰りのバスに乗り遅れまいかと気をもむこともない。

 

おかげで、犠牲になった宮古島の人たちを慰霊する「大日本琉球藩民五十四名墓」ではたっぷりと時間をかけて撮影することができたし、特産の玉ねぎが植えられた広大な畑の前でちょっと立ち止まってみたりする余裕もあった。ほとんど朽ち果てたようなオート三輪を見つけたのも思いがけない収穫だ。

 

台 26 線を海側へまたぎ越し、車城の集落を歩く時間的な余裕もあった。そこには開基から 300 年を優に超える台湾最大の土地公廟のひとつ、車城福安宮が鎮座し、廟の門前から伸びる中正路には日本統治期の建物もいくつか残っていた。由来を尋ねようと民家に飛び込んでみると、老人が「建ってから 100 年ぐらいになるよ」と日本語で説明してくれたりもした。

 

意外なことに、次の目的地、台東でも歩く旅への誘いが待っていた。偶然知り合った高雄出身の男性が「最近は、歩いて台湾を一周する人がいるよ」と教えてくれたのだ。台湾を一周する「環島」の徒歩バージョンだ。見かけた人が、何か食べていけ、少し休んでいけ、と何くれとなく世話を焼いてくれたりもするという。歩く旅は人の距離を縮め、台湾の魅力を深いところまで見せてくれるのかもしれない。

 

 

開基 300 年を超える車城福安宮=写真はいずれも 1 月 21 日撮影

 

沖縄・宮古島の人たちを慰霊する「大日本琉球藩民五十四名墓」

 

特産のタマネギがモニュメントに

 

 

松田良孝(まつだ よしたか)


1969 年、さいたま市生まれ。北海道大学農学部農業経済学科卒。八重山毎日新聞記者などを経て、現在はフリー。石垣島など沖縄県と台湾の関係を中心に取材を続ける。著書の『八重山の台湾人』(南山舎、2004 年)は、2012 年に『八重山的台湾人』として中国語訳され、行人文化実験室(台北)から出版。共著に『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社、2012 年)。2014 年には小説『インターフォン』で第 40 回新沖縄文学賞受賞。

 

 

※掲載情報は取材時のものであり、現在の情報とは異なる場合があります。