ハル・ノートは2つあった! | ひとりごと日記

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日米開戦の直接のきっかけと言われる、ハル・ノートというのは皆さんご存知でしょうが、


この、「ハル・ノート」が2つあった、ということは、ご存知でしょうか?


(私は知りませんでしたorz)


最後通牒と言われている、ハル・ノート、これは、ハルではなく、ハリー・ホワイトが書いたものです。



以下、東亜歴史研究所の記事を転載します。


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http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/halnoterethought.htm


アメリカ政府の対日最後通牒ハルノート

ハルノート の原案は、2種類あった。コーデル・ハル国務長官が作成したハル暫定案と、ハリーホワイト財務省次官補が作成したホワイト・モーゲンソー案である。ルーズベルト大統領は最終的にホワイト案を採用、ハルをしてこれを日本政府に通達せしめ、結果として、昭和天皇の聖慮に沿い日米和平交渉をまとめようとした東条内閣は対米英開戦を決断した。

東京裁判判事中唯一の国際法の権威、インド代表判事ラダビノート・パル博士は、


「現代の歴史家でさえも次のように考えることができたのである。即ち『今次戦争について云えば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受け取った場合、モナコやルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起き上がったであろう』」


とハルノートの苛酷さを指摘して、日本を追い詰めたアメリカ政府を批判した。今日、パル博士に同調する識者は、日本の国内外に数多く存在する。

 


ハリーホワイトはソ連のスパイ


ハリーホワイトは、モーゲンソー財務長官の腹心として、ドイツの非軍事、工業化を掲げたドイツ戦後処理についての「モーゲンソー案」を作成し、戦後の国際通貨体制を定めたブレトンウッズ会議にアメリカ代表として出席、国際通貨基金(IMF)創設の中心的役割を果たした。だが1948年夏アメリカ下院非米活動委員会において、E・ベントレーとW・チェンバース(いずれも元米国共産党員)は、米国共産党(コミンテルン米国支部)やアメリカ非公然組織長のイクサ・アフメーロフ(ソ連人民委員部)、ボリス・バイコフ大佐(ソ連赤軍第四部)が、アメリカ政府内に構築したソ連諜報網の全容を告発し、ホワイトがソ連のスパイであることを指摘したのである。ホワイトは公聴会でソ連スパイ疑惑を否定したが、その直後の8月16日、ジギタリスを大量服用し不可解な死を遂げてしまった。


この為、戦後、「ハルノートは日米開戦を画策したソ連の謀略ではなかったか」という疑惑が囁かれ、防衛庁の戦史叢書にもこれに関する記述が散見されるが、ホワイト自身の正体を含め、この疑惑の真相は全く不明であった。

ところが最近公開された米陸軍電

信傍受機関のソ連暗号解読資料「VENONA資料」によってホワイトが「ジュリスト」「リチャード」というコードネームを持つソ連のスパイであり、E・ベントレーとW・チェンバースの告発が真実であったことが判明したのである。


ハルノートはソ連の作為戦争謀略だったのだ。


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(引用終わり)

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ハル・ノートは、ハルの手によるものではなく、ソ連のスパイ、ホワイトの手によるものだった。


ハルは、それまでの交渉を積み重ねた中で、十分妥協点を見いだせるものを用意していたが、直前になって差し替えになったようです。


ソ連は、日本とアメリカを戦わせるために、このような過酷な通牒を出させたんですね。


(ま、これを採用したルーズベルトも大いに責任はありますが・・・)



そう考えると、実は、日本の敵は、「アメリカ」ではなく、「ソ連」もっというと、「共産主義」だったのではないか。


ソ連にハメられて、戦争を余儀なくされた、と言っても過言ではないだろうと思われる。


しかし、TVや新聞などでは、この超重要な件が出てくることはないようですね。


赤に染まっているマスコミは、共産主義に不利な情報は流さないと決めているようです。



そして、日本の本当の敵は、今も昔も、「アメリカ(資本主義・自由主義)」ではなく、「共産主義(中国・北朝鮮)」のようですね!



アディオス!