P317まで読んだ読書メモ

(ちなみに、この本は精神科医のユングの弟子が書いた本であり、精神医学、脳科学のカテゴリーに入るのかなあと適当に考えてます・・・)



古代の神話や伝説をいろいろ紹介しているが、古代の人類も時間の感覚は現代人と同じだったようだ・・・というか、有史以前は違ったのかもしれない。言語を使うようになって思考ができるようになれば当然時間の概念もそういう論理的なものとならざるを得ないだろう・・・
言語や思考のないレベルの人類、いや、動物でなくては、時間のもっと根本的な性質を偏見なしに認識できないのかもしれない・・・

胎児は一日の半分以上眠っている。ちょっと目覚めては、すぐに、また眠ってしまう(正確な調査では20分寝て20分覚醒するらしいが・・・)。そんな胎児は世界をどう見るか?時間をどう感じているか?覚醒するたび、すぐに、また意識を失ってしまって長時間経ってしまうのだから、連続した時間の流れを感じれてないであろう。かといって、外界の認識はいつも同じ子宮内での様子であるから、変化はないともいえるし・・・複雑だぁ・・・


ポリネシアの神話によれば人々のいるときに光が誕生し分裂が生じたらしい。エジプト神話によれば、空間は大気の神が干渉して空間を作って、初めて、天地が生じ、前後左右も生まれた。光と空間・・・すなわちこの段階で初めて空間諸要素が自我とかんけいづけられるということらしい・・・

胎児も子宮内において羊水スペースはあるものの、自他を隔てる空間の観念は持ってないであろう。それが娩出とともに、いきなり、空間が現れ、もちろん、空気を吸っての肺呼吸も始まり、劇的な変化が起きるわけだ。

もしかしたら、まだ胎児気分の自立していない人は、いつまでも他者に依存する無意識が根強く残っているのかもしれない・・・


始原の人類は社会学的には集団としての自我、つまり、集団の一員としてのみ自我は機能し、その行動の主体はあくまでも上位権力をもつ集団だったらしい・・・

もしかしたら、今、安保法案反対・賛成とかででも行為をしている日本人や、4年前にアラブの春に刺激されてシリアで反アサド政権をスローガンに、今もシリアの内戦混乱を続けている民衆の行動も、こういう始原の社会的現象に退行しているだけかもしれない(いや、ちがうか・・・)。
そもそも、日本の太平洋戦争・第二次大戦も集団ヒステリーのようなもので、同類だったのかもしれない。
きっと、これからの、進んだ形は、ボーダーレス、個人主義(もちろん母国を尊重しながら、母国にいつまでも依存せずに世界へ飛び立っていく主義)なのではないだろうか・・・


乳幼児が立ったり歩いたり物をつかんだり運動機能が発達していって、自分の意志通りに体が動いてはじめて段々自我が芽生えていく。その前までは、自分の身体ですら、自分とは対立するものであると感じていたと思われるらしい・・・

リベットの実験によって人間には自由意志はないという人はいるが、乳幼児のときも、そして大人になった時も、随意筋の動きは同じように自分の意志ではないということか・・・いや、質が違うであろう・・・



「近親相姦」「母殺し」「父権的去勢」等は気持ち悪いので斜め読みして飛ばす


※ 意識の起源①~④シリーズはちょっと冗長になりそうなので、しばらく休止!(634ページもある大著なので)
また気が向いたら、メモ程度にブログにUpします。