苦楽があることで、思考を麻痺させてしまう。いや、思考の視野狭窄を起こしてしまう。いや、思考というよりも理性や悟性か?知性よりも、悟性のほうが大事なような気がする。人間の人間らしいところ、それは他者への思いやり、慈しみ、愛情であろう。それを邪魔するのは、現実的な苦楽・知性・欲であろう・・・



スティーブン・ホーキング博士は、ALSという難病で体が動かせず車椅子生活ですが、彼は自分の病気がもっと進行して、他の人に世話をかけて邪魔な存在になったら、医師に安楽死をしてもらいたいと発言している。
ホーキング博士は、ブラックホールについても最近はちょっと訂正した発言をしている。
彼は73歳だが、そろそろ、認知症の気がでてきているんじゃなかろうか???
悪く言うつもりではない。
考え方が今までの考え方の繰り返しになってきているんじゃないかと思うのだ。彼からはもう斬新なアイデアは生まれないだろうし、彼の発言は以前の彼の考えの焼き直しだらけなような気がする・・・
(ホーキング博士のファンの方、すみません。別に、こんな自分の為のメモ代わりのブログでの独り言なので、気にしないでください・・・)

彼は、社会的に成功しつつも、肉体的にかなり辛い目に遭っているわけで、複雑な心境だと思う。。。私が博士の立場だったら、博士と同じような考え方になっていただろうと思う(つまり、神へ呪うような発言、あるいは神を否定する考え)。


社会的成功も肉体的苦痛も、思考というか悟性というか悟りを阻害してしまうものだと思う。
阻害ではなく、促進してくれるものは、ただ一つ、存在の意味を追い求める情熱(いいかえれば、存在することに何らかの意味があること可能性をあきらめずに追求し続けること、あるいは神の存在を求め続けること)だろう。


物事を決めつけず、慎重に、いろんな可能性を捨てず、望みを持ちづけること・・・