最近は言語について考えることが多いけれど、常に念頭に置いて考えているのは、意識についてだ。
そもそも、意識について考えているのは、何故、自分というものが存在するのかであり、、、
そして、もっと、根本にあるのは、

死にたいという思いだ・・・

何のために生きなければいけないか?

宗教や哲学に答えを見出そうとも思いつつ・・・


改めて、自殺はしていいのかどうか、ちょっと述べてみたい・・・


哲学者の誰かが言っていた。

この世で一番の問いは、人生は生きるに値するかどうか?ということ。


幸せよりも苦しいことが多い人生は、ハッキリ言って、生きるに値しないように思える。


そして、この世に生まれ出でたのは、自分の責任・選択ではなかった。勝手に産み落とされて、自分の意志で勝手に死んでも構わないであろう・・・誰に文句を言われる筋合いがあるか?
自分で選んだ選択なら後悔はないかもしれない・・・


しかし、とにかく、100%確実に言えることは、死んだ後どうなるかは、わからないということだ。


あの世があると他の人が信じようと信じまいとどっちでもいい。

神の声が聴こえたと錯覚する人の話もどうでもいい。


この世は楽しく生きた方が得と気分高揚気味な躁状態の人の話もどうでもいい。

この世で精力的に情熱的に頑張る循環気質の人の話もどうでもいい。


自殺するときの苦痛はかなりひどいであろう・・・
登山家が言っていた。滑落して体を打ち付け意識をなくす瞬間まで意識はスローモーションのように時間を長く感じると・・・苦痛も通常の何倍も長く強く感じる・・・


人生は株投資と似ているかもしれない。
早めに損切りすることは自殺に似ている。損切りは含み損を確定するという確実な痛みを伴う。
しかし、何とか事態は上向くんじゃないかとだらだら保有しておれば、ますます、泥沼にはまる可能性がある。人生は現物保有株と違って、配当もないし、何年も経って株が買い値に戻る可能性は十分あっても、人生にはない。まぁ、悪い人生は倒産する会社の株と似ているかもしれないが・・・


人生を早めに損切りする方がいいのか、どうなのか・・・


すべては、、、幸不幸・苦楽を基準に考えてのことだけど・・・

人間が感じる幸不幸とは一体なんなのだろう・・・

幸不幸なんか感じずに生きていたら、自殺など考えずに生きていけるかもしれないけど、それはまるでゾンビやロボットのような感じかもしれない・・・

幸不幸を感じずに生きていけないのか?あるいは、幸不幸を感じながらも、生きていることに意義があるのか?


先に逝った人に聞いてみたい・・・