以前、2015年3月23日のブログで言葉について書いたが、

言葉のない状態の時の意識・思考が今の自分にはとても想像できないわけで、もう少し、違う例で考えると、英語を話すアメリカ人の意識・思考も、今の自分には想像できない。いったい、どういう感じで思索するのであろうか・・・


言葉のない世界という条件をさらに進めて音のない世界、あるいは、動く物のない世界に生きる場合も、意識が何を感じるか、何を考えるかも、本当に想像できない。


まぁ、もっとよく頭を働かせて想像してみれば、想像できなくもないだろうが・・・


逆に、コウモリやイルカなどの超音波を使える動物の感じる世界、私たち人類の能力よりもさらにすごい能力を持つ知的生命体の考える思考は、もっと想像することができないわけで、これが、すなわち、神の全知全能を私たちが理解できない一因であるわけだ。神の御計画にいろいろ不満・不条理を感じ、なぜ苦しみや悲しみのない世界にしなかったかと批判する人類が、結局神なんていないんだと断言してしまうことは愚かなことなんだと思われる・・・


神の考えること・真理・思し召しを理解するために、人類の低い知性であれこれ考えても、真理に到達することはほとんど不可能であろうことをあらかじめ自覚しつつ、追求し続けることが大事であろう・・・