理性と感情


人は誰の指示だったら聞くのか?


自分の指示(理性)であっても感情が邪魔して聞かないであろう。
あるいは、自分が万能でも全知でもないことを知っているから、間違った判断をしているかもしれない自分の考えを完全には信頼できないであろう。


神の命令を守らなかったアダム。
自分の考え(理性)もしくは感情に従ってしまったアダム。
感情にではなく、自分の考えにでもはなく、神の命令や指示に素直に従うということが人はできない、それが原罪なのかもしれない。


ヨブ記で、最後に神が出てくる場面、ヨブが神の話を聞いた後に悔い改めた内容は何だったか?
義の人、ヨブ。彼は一体自分の何がいけなかったと反省したのか?


それは、神の考えが、自分の考えよりも、月とスッポン以上に、格段の違いがありながら、自分の拙い考えで、神のはかりごとを推測したことを、反省したのであろう・・・



ヨブ記 第42章
42:1そこでヨブは主に答えて言った、
42:2「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。
42:3『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。
42:4『聞け、わたしは語ろう、わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
42:5わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。
42:6それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。



精神病、とくに統合失調症と躁うつ病や精神発達遅滞では、お薬で症状改善するのに、そのお薬を飲まなくなる人が少なくない。何故、辞める人がいるのか?それは薬には眠気や体が重くなるなどの副反応が起きてしまうことが少なくないからだろう。精神状態が良くなると、そういう副反応にばかり目が行ってしまい、もう薬を辞めたいと思い始め、医師の指示よりも自分の判断で薬を辞めてしまうのだろう。
精神病の患者さんにおいて、薬によって精神症状自体は改善され得るだろうけど、その人の性格や知性まではどうすることもできないであろう。

薬によって、精神病が改善されても、服薬を続けないと、また悪化してしまうし、それを防ぐために、医師の指示を守って服薬遵守していくための性格や知性(病気に対する知識・病気であることを自覚すること・薬をやめれば再発すること・医学的な専門家である医師へのコンプライアンス・素直な性格)が必要であろう・・・


ドイツの副操縦士は、パーソナリティ障害だと前々回に述べたが、もちろん、躁うつ病であった可能性もあり、事故当時、躁鬱混合なのか躁状態だったのか、薬が必要な状態だったかもしれない。躁うつ病は薬が必要であり、精神療法だけじゃ治らないから、通っていたところの精神科医が精神療法だけで治すのは、無理があるというか、病状を進行させてしまう危険性があり、それを承知で患者さんが薬なしで精神療法だけ希望して通院しようとしたら、医師は断るであろう(治療契約を結ぶことができないという理由で)。


ヨブ記でもそうであるが、従順さが大切であると、つくづく思う・・・知性も必要だが、知性よりもやはり素直な性格の方がもっと大事であろう。知性はなくても構わない、性格だけしっかりしていればそれで充分だ。神もそれを望んでいて、それで知恵の実(善悪を知る木の実)をわざとエデンの園に植えておいて、一種の踏み絵にしたのだろう・・・アブラハムが自分の子供を生贄に捧げよと命じられたときに、素直に従った。普通の人なら、そんなアブラハムの行為を馬鹿かあるいは何よりも子供を大事に思う愛情がないのではないかと批判したくなるであろう。しかし、神からみれば、人間の知性ははるかに低く、人間の感情ははるかに未熟だ・・・神が唯一認めるのは、人間の性格・素直さだろう・・・