キリスト教で幸せとしているものは、永遠の生、そして、愛、だと僕的には解釈しています。
しかし、永遠の生は果たして幸福なのだろうか。愛さえあればすべてが犠牲になってもいいのだろうか。と思うことが多いです。

数日前の産経新聞の読者の投稿欄に、13歳くらいの少年が投稿してました。不老不死の技術が開発されても不死になるのを望む人は皆無なんじゃないかと。人生が有限だからこそ、一日一日を大切に生きるのではないのかと。。。
少年ではなく、年老いた人だったらやっぱりずっと生きていたいと思うのかもしれないですが、それでも、やはり、普通の人だったら永遠の死ぬことがなかったら嫌気がさすと思います・・・

愛については確かにすばらしいことであると思いますが、愛のために苦しみを伴うのはやはりどう考えても(人間的な考え方では)納得できないと思えてしまいます・・・
子供を作るときに、今の日本で(いじめや今後の日本の国力低下などを考えると)明るい将来が見えない状況で子供が幸せに育っていくかどうか疑問に思えてきます。親のエゴで子供を作るのがほとんどだと思いますが、子供に「なんで俺を産んだんだ!」と言われることがないように責任感を持って育てる決意がないと子供は持てないと思います・・・


今回も思いつくまま書いてしまいました。すみません・・・