『感謝』の反対は『当たり前』 | 60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

50代で介護職を経験し実父と叔母の援助をしながら人生初の60代を生きています。これから『高齢者』と呼ばれるようになる私たちシニア初心者のために日常の自分を通して『シニアの心得』を発信しています。共感していただけると嬉しいです。ご一緒に歳を重ねましょう!

「感謝しなさい」と

母によく言われた。


幼い頃の私は

『感謝』の意味が

わからなかった。


全てが

『当たり前』だったからだ。


家があって親がいるのは

当たり前。


爆弾に怯えることなく

健康に生きていて

当たり前。


親が育ててくれて

学校に行かせてくれるのが

当たり前。


一体何に感謝すれば良いのだろう?


今考えると

母自身が

感謝されたかったのかもしれない。


母の口癖は

「そんなの当たり前」

だった。


成績が良いのが

当たり前、

素直で良い子なのが

当たり前、

ピアノが上手なのが

当たり前、

学級委員になるのが

当たり前、、、


そんな母の期待に押し潰されて

感謝なんて

出来ようはずもない。


母こそ

自分の運命に

感謝すべきだ!!怒り

と思っていた。


亡くなる1週間前、

最期に母と会った時

母は最後の力を振り絞り

号泣しながら

私に抱きついて

「ありがとう」と言った。


近々

自分は旅立つということを

母は悟ったんだな

と思ったが

感謝してもらうことで

勝った!ニヤリ

みたいな気持ちには

不思議と

ならなかった。


無条件に不憫だったし

母の役に立てて良かった

という充実感を感じた。


当たり前を

当たり前と思わないようにするのは

難しい。


ただそれを

どれだけ感謝に変換できるかが

幸福度に関わっているのではないだろうか。