佐賀の三養郡出身の市村清さんという方の話をしましょう
市村清は1900年に佐賀に生まれます
そして大東銀行に入社、1922年当時日中合弁により、中国(当時の満州)にわたります
しかし、世界恐慌により大東銀行は閉鎖され、日本に帰国します
市村清の奥さんは長崎の有名な病院の令嬢でした
職を失った市村清は日本で職を探します
世界恐慌の後で、就職先は見つかりません.
その中で、唯一人材募集をしている会社がありました
生命保険会社です
当時生命保険のことを、日本では死ね死ね講といわれ、下賎な仕事として
差別されていました
彼はその仕事を生命保険に対して当時最も閉鎖的といわれる熊本に就職しました
生命保険の仕事は想像以上に過酷なものでした
知り合いのいない土地で、一軒一軒訪問して生命保険の説明をします
どこに行っても断られます
断られるどころか、「積み立てたお金を人が死んだらもらえる死ね死ね講なんかやめてしまえ」
と罵声を浴びて、塩をかけられたり
水を頭から浴びせられたり、大変な思いを来る日を来る日も繰り返します
1ヶ月が経ち、2ヶ月が経ち契約が一件も取れない中、たくわえも底をつきます
市村清は家でまつ奥さんのために給料を持って帰りたい一心で、一度断られた家に
再訪問、再々訪問をしますが、「しつこい!」「二度とくるな!」と前にもまして追い返されます
彼は段々心が折れていきます
3ヶ月目が過ぎ、4ヶ月目に入ったとき、彼はたんすの中の奥さんの嫁入り道具の高価な
着物がなくなっているのを気がつきます
彼は、とうとう心が折れてしまいます
そして、奥さんにある晩打ち明けます
「私は今までがんばったけど、保険を理解してもらえない、やめようと思う」
明日の夜、家裁道具をリヤカーに積んで深夜誰にも知られないように町を出ようといいました
そすると奥さんは言いました
「大丈夫ですよ、なれない仕事ですから最初はうまくいかないのです、あなたなら
必ず契約を取れます、もう少しがんばってください」
笑顔で奥さんに励まされ、市村清は気を取り直します
そして翌日から気を取り直して、もう一度挑戦します
しかし・・・・・・・
現実は厳しく、彼の誠意を、情熱を町の人は受け入れてくれません
一週間、2週間、20日が流れ蓄えもなくなり食べ物も底をつきました
米びつは空っぽ
市村清と奥さんは、自分たちのそばから枕をほどき
そばからを湯がいて夕餉をとるまでに追い込まれていました
そのよる、市村清は奥さんに言います。
「私もがんばったけど、あなたは私以上にがんばってくれたどうもありがとう」
そういって下をうつむいた市村清は大粒の涙を正座したひざの上にぼとぼとと
こぼしました
その市村清に対して、奥さんは笑顔で言いました
「私はあなたを信じて嫁ぎました、あなたがおやめになるなら私はそれでいいのです
でも、今日ここで決めたら逃げることになります、明日もう一日だけ出かけてください
新しい仕事に進むためにも、逃げてしまっては悔いが残ります、明日は再出発の日
として最後のご挨拶に出かけてください、そして終わりにしましょう。その上で胸を張って
新しい仕事に向かって出直しましょう」
と言ったのです
奥さんに励まされた市村清は翌日、出かけていきます。
(だれに挨拶に行こう?)かれは考えた末に
一度も会ってもらえなかった校長先生の家の奥さんに会いに行きました
そのお宅は熊本の学校の校長先生の家でした
この家は市村清が何度も訪問しては奥さんに無理を言って校長先生に
面会を頼んだ思い出深い家でした
この日、校長先生に何度もメッセージを伝えてくれた奥様にご挨拶をして
町を出ようと想い向かったのですが、家の前に立ちつくし1時間も2時間も
迷って玄関の戸に手をかけることができませんでした
そうやって迷っていると玄関の戸がガラガラとあきました
中から出てきたのは奥様でした
「あら、市村さんちょうど良かった、主人が市村さんが尋ねてきたら会いたいと言っておりました」
この日、市村清は熊本にきて、初めて靴を脱いで訪問先の家の中に入りました
校長先生は、市村清に深々と頭を下げて言いました
「生命保険はこれからの社会において大事な仕事です、私が死んだとき家内と子供たちの
ために、愛する家族のためにこれからの時代に重要な仕事になるでしょう、私が最初の客として
市村さんの生命保険に加入させていただきます」
彼の最初のお客様として校長先生が契約をしたという話は熊本中に伝わりました
愛するものたちへの思いやりとして生命保険はこれからの時代の常識的な備えと言った
校長先生の言葉は絶大な影響力を与えたのです
この日を境に、市村清の所に生命保険の契約の依頼が殺到したのです
その日から一ヶ月、市村清が契約した契約件数は日本一の記録となり
今でも破られていない金字塔となりました
後に市村清はフコク生命の伝説になり、三愛グループの創設者として、そして
リコーの社長として会社を再建し
経済界の重鎮となりました
後に彼は経営の神様といわれいくつもの企業の再建を行い1968年になくなります
彼の元には五島昇
、盛田昭夫
、大宅壮一
、邱永漢
、今東光
、升田幸三
などの財界人
文化人が教えを乞いました。
ねばり根性、市村清の話をビジネススクールでプレゼンテーションする時に
私は毎回涙が止まりません
受講者の前で、自分がそば殻枕を湯がいて食べる夫婦の夕餉の光景を話す
時に涙がぽろぽろとこぼれます。
市村清の人生から学ぶものは根性の先にあるもの、それはねばり根性です
根性、持続力を超えたねばり根性
この精神です
自分に足りないものを発見すると同時に皆さんが振り返るものさしになる事を
願って教壇にいつも立ちました
わたしは日ごろ良く使う言葉があります「その先にあるもの・・・・」
目先の苦しみや快楽、喜びに目を奪われないようにしようと思います。その先に
あるモノまで見ながら、目先のものを見ると本当の姿が見えてくることがあります
市村清の奥さんはその先にあるものが見えていたから「明日・・・もう一日・・・」
と言ったのかもしれません
こうしてアメブロの最後を決めてカウントダウンすることにより、充実した有意義な
毎日を書き記すことができます
「誰に語りかけているの?」
と他人事のように読んでいるあなた![]()
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