<前置き>親孝行?かな?読み手側からしたら、とらえる人それぞれですから自己満足と言われたらそうかもしれません。
私の両親は幼い頃から不仲でした。寝室別で家庭内別居状態が40年程ありました。
一年前、父が他界するまでのお話です。
約10年前に離婚して実家に戻りました。
そこには、長年不仲な両親…父は難病悪化。母は認知症に入っていて介護放棄。
しかも、難病の薬の副作用で幻覚症状が出ていた父はギャンブル依存症に。
退職金どころか微々たる年金収入で自転車操業状態の貯金0円でした。
実家の経済状態を知り、お金のやりくりも見直し。
不仲だった両親の関係はさらに悪化し、父と母の介護をそれぞれしました。
でも正直、不仲だった両親の事が私は嫌いでした。
でも、体の機能が衰えた父の事を放置できないし、物忘れが酷くなった母も気がかり。最終的に、父を施設に入れ、施設を何度も行き来しました。
自宅にいる母の食事や様子も見守りつつ、仕事に子育ても終わってなくて、毎日疲弊していました。
3年前に父がふとこんな事をいいました。
「わし、お金空っぽにして皆に迷惑かけて…放置されても何も文句言えん立場やし…治療に金かけんでくれ。延命処置とか葬儀無しで燃やすだけとかでいいよ。頼むな。ごめんな」でした。
亡くなる三ヶ月前に誤嚥性肺炎を繰り返し続け、再度肺炎が悪化した父の状態に、医師からは『これ以上口から接種は困難です。胃瘻(お腹に穴をあけて直接栄養)しかないかな』と言われました。
私は、父が管につながれてまで生きたくないと言っていたので、栄養補充の点滴で看取りの判断をしました。
とってもとっても悩み、延命処置って何?どこまでが延命処置?って、毎日毎日悩みました。結局、点滴だけで看取り、最後の一日は酸素Maxいれても苦しそうでした。
心肺停止し冷たくなった父を、看取り施設の職員さんとお風呂できれいに洗い、髪を乾かし、一度も袖を通すことが出来なかった新品のパジャマを着せて葬儀屋さんへ。
棺桶に入った父の顔は、それはそれは眠っているような穏やかな顔でした。
後悔はありません。だって、2か月の期間、徐々に弱り話す声も出なくなり、最後の一晩は苦しそうに唸ってた顔から一変して、穏やかな顔で旅立ったのですから。
これがもし、胃瘻入れてずっと寝たきりで食べることも話すことも出来ずにって、私だったら嫌だと思う。本人の意思を尊重し、小さなお葬式をしました。
子と孫に囲まれて見送った葬儀。
笑顔の父の遺影が【ありがとう】言ってるみたいでした。
「また、桜の季節が来るね。ベッドから桜を眺めてたから、今年は写真だけど、花見に連れてってあげるよ」