教材配達でやって来た業者さんに、事務所の方へ運んでくれるよう促す。
重そうな段ボールを持って、事務所と裏口に停めたトラックとを何度も往復する業者さんをぼんやりと目で追う。
運搬は10分~15分ぐらいだっただろうか、次々とテンポよく荷物を運び終えて、作業着の胸ポケットから伝票とボールペンを取り出した。
「終わりました!この伝票にサインお願いします」
「あ・・・はい」
言われた場所にサインをすると、複写になった紙を器用にはがして俺に1枚渡す。
「じゃ、失礼しまーす!」
小さく会釈して、裏口から出て行った。
見送って裏口のドアに鍵をかけ、教室の方へ戻ろうと向きを替えた時。
(・・・どう、しよう・・・)
急に彼女を置き去りにしていた事を思い出してしまい、足が止まった。
さっき彼女に「好きだ」と伝えた事。
言葉に出して、ようやく自覚した自分の気持ち。
(さっき、業者が来なかったら・・・俺は・・・)
彼女にキスをしようとしたのだ。
(どんな顔して戻ったらいいんだ・・・)
一歩踏み出した足がまた止まってしまう。
でも、だからと言ってずっとここでこうしている訳にもいかない。
彼女と、話しをしないと。
もっと、ちゃんと。
改めてもう一度、好きだと伝えなくては。
そんな風に考えて、ふぅと一息ついてからゆっくりと教室の正面へ続く廊下を進んだ。
「・・・あ、れ?」
しかし、戻ってみるとそこに彼女の姿は無く、かわりに入り口のドアを開けて中へ入って来た紫苑先生が見えた。
「あら、藍屋先生。ただいま戻りました、業者さん来たかしら?」
「え、っと・・・へえ、今しがた帰られました・・・その、お早いお帰りで・・・その」
「そうなの、意外とすんなり用事がすみましたの・・・嫌だわ、藍屋先生、そんな不思議な物を見るみたいな顔して。どうかしました?」
俺はそんなに変な顔で先生を見ていたのか?
慌てて笑顔を作る。
「べ、別に・・・なんもあらしません、けど・・・せんせ、戻って来はった時、ここには誰も・・・?」
「ええ、誰もいませんでしたよ?」
今度は先生が不思議そうな顔になる。
「そ、そうどすか」
と言う事は、彼女は俺が裏口に行って割とすぐにこの場を立ち去った、のだろうか。
「ほんなら、わては失礼させてもらいます」
「あら、そう?でも助かりました、有難うございます」
紫苑先生はお辞儀をしてにこっとほほ笑んだ。
俺も先生にお辞儀を返し、半ば逃げ出すような気持ちで教室を出た。
「結局、藍屋先生は何しにいらしたのかしらね?」
なんだか急に重い疲労感に襲われた俺は、教室を出て少し離れた場所にある公園に入り、ベンチに座った。
「はぁっ」
息を吐き出して空を見上げると、上着ポケットの中で携帯が振動している事に気づく。
取り出して表示を確認すると、着信は店からだった。
ピッ
「へえ」
「お、秋斉」
声の主は慶喜だった。
「・・・なんどす?」
「ちょっと、いきなりそれかい?」
「あぁ、おはようさん。で、なんどす?」
「ったく・・・ま、いいや、おはよう」
慶喜の電話は、さっき彼女からの電話に出たホストから俺が携帯電話を受け取りに行ったという伝言を聞いた為だった。
「悪かったね、秋斉にパシリみたいな事させちゃってさ」
どうも本当に悪いと思ってるような感じには聞こえない。
きっと向こう側でニヤニヤしてるんだろう?と思いながら、そっけなく返事を返す。
「別に」
「ふぅん・・・で、今どこにいるんだい?彼女も一緒、なのかな?それでこの電話が邪魔で不機嫌なのかな?」
「・・・一緒やないけど」
「えっ?なんで?どうして?」
「なんで?て・・・こっちが聞きたいわ」
なんで、どうして彼女は教室から姿を消してしまったのか。
「ちゃんと、言わなかったのかい?自分のキモチ」
まったく・・・どうして慶喜は、こうずけずけと何でも聞けるんだろうか?
こうまで自分と正反対の性格だと鬱陶しさを通り越して、羨ましくもある。
「いや・・・言った、けど・・・」
「まさか・・・フラレた、とか?」
「阿呆、そんなんやない・・・けど」
「なんだい、さっきから、けど、けどばっかり」
「・・・とにかく、今から店に戻りますよって」
「・・・わかった、じゃあ待ってる」
「・・・ほな」
ピッ
通話を終了させてから、突然はっとして顔を上げた。
昨日・今日のこの流れが慶喜の策だった事に今、気がつくなんて!!!
彼を責める為にこちらから店に電話をかけるのもなんだか面倒で、俺は無意識に口元を緩ませながらベンチから腰を上げた。
店に戻ると、一番広いテーブルのある場所で呑気そうに煙草をふかしている慶喜が居た。
俺が慶喜の仕込んだ「携帯騒動」一連の流れに怒っている事も、実はそれに少し感謝している事も、全部見透かした様な目をして、吸い込んだ煙をゆっくりと吐いてから、言った。
「やぁ、おかえりなさい」
「・・・ただいま」
わざとぶっきらぼうに言って、慶喜の向かい側に座る。
「でっ?でっ?」
短くなった煙草を灰皿でもみ消して、急にわくわくした表情になった慶喜は、テーブルに両肘をついてぐっと前に乗り出して俺の顔に近づいた。
「何どすの?」
こいつが聞きたい事は勿論、わかっている。
彼女に好きだと告げたその結果、何がどうなったのか?だろう。
俺がさらっと事の流れを話すと。
「えぇぇっ?居なくなっちゃったって」
慶喜は身体を大きく仰け反らせ、ソファの背もたれに身を預けてずるずると沈む様な格好になった。
ここまでオーバーリアクションされると、改めて不安が増してくる。
憐れむような顔で俺を見ながら、慶喜はさらに追い打ちをかける一言を放った。
「それってさぁ、逃げちゃった・・・てことかい?・・・やっぱり、フラレちゃったんだね、秋斉・・・」
返す言葉もない俺は、ただ黙ってテーブルの上に視線を飛ばした。
「・・・あ、これ」
ふと思い出して、ポケットから慶喜の派手すぎる携帯を取り出してテーブルの上に置いた。
するとその時、
「秋斉さん」
慶喜が座っているソファの背中側から呼ばれ、そちらに目を向けると
「お電話です」
先ほど彼女からかかってきた電話を受け取った時と同じホストが、両手で子機を持って立っていた。
「誰から?」
何故か俺の代わりに慶喜が尋ねる。
「はい、昼間にもお電話されてきたお客様ですけど・・・ミーティング中ならそうお伝えしますが」
「っ!!!」
俺が思わず立ち上がったと同時に、
「貸して」
慶喜が素早く子機を受け取った・・・というより、ホストの手から奪ったという方が正解か。
「あー、もしもし?お電話替わりました」
(ちょ、ちょっと何やってんだ!?俺にかかって来た電話だろうがっ!!)
口をぱくぱくさせてテーブル越しに手を伸ばすと、慶喜はひょいと身を翻して俺の手から逃れ、ソファの上を滑る様に移動して奥のVIPルームへと入って行った。
≪秋斉編10へ続く・・・≫