「ごほっ、ごほっ・・・あ、俺だ」
私が電話に出ていきなり聞こえてきたのは、激しく咳き込む歳三さんの掠れた声だった。
「どうしたんですかっ?大丈夫ですか?」
「あ、ああ・・・どうやら昨日、店で風邪をうつされたらしい・・・ごほっ、ごほっ」
「えっ、熱は?」
「ん、測ってないが・・・熱い様な寒い様な」
「駄目ですよ、ちゃんと病院へ行かないと」
「・・・医者は嫌いだ」
歳三さんは子供みたいな事を言って、また激しく咳き込む。
「で、悪ぃんだが今日の約束」
「そんな事はいいんです、とにかく温かくして、病院が嫌なら市販の風邪薬でもいいから飲んで下さい」
「あ、あ・・・薬はねえな」
だんだんと声が遠ざかっていく気配がする。
「歳三さん、聞こえてますか?」
「ん?ああ・・・ごほっ」
また何回か咳き込んで、結局そのまま電話は切れてしまった。
かなり辛そうだったな・・・どうしよう、絶対に病院へは行きそうにないし・・・。
私は救急箱の中から風邪薬を探してバッグに詰め込んだ。
歳三さんの家に行った事はなかったけれど、以前、会話の中でふいに出てきたいくつかのキーワードを思い出した。
確か、恵比寿駅のすぐ近くにある有名なラーメン屋『○×堂』がマンションの1階に入ってるって話していた。
上着を手にとって、すぐに家を飛び出した。
恵比寿駅から『○×堂』に行くまでの道すがらの薬局で、ジェルタイプの熱冷ましシートやら風邪薬、咳止め、子供用シロップ等、思いつくだけの風邪用薬を購入した。
たぶん、ここだよね・・・。
しかし、マンションは完全オートロックだったので入り口の自動ドアすら開ける事ができなかった。
仕方なく、彼の携帯へ電話をかける。
何度かコールするが留守番電話に切り替わってしまう。
どうしよう・・・勢いで来ちゃったけど、ここが開かない限りどうしようもない・・・。
そう思うと、薬局で購入した薬と大量のポカリスエットを入れたビニール袋が急に重く感じられた。
一旦マンションの横に廻り、集合郵便受けで「土方」の名前を探すとテプラで貼られた名前を見つける。
彼の部屋は702号室だ。
すると蕎麦屋の出前のおじさんがバイクを目の前で止めて、大きなおかもちを下げてマンションの方へ歩いていく。
バッグの中の鍵を探すふりをして、マンションの住人を装いおじさんの背後に立つ。
ほどなくして、おじさんが呼びだした部屋の住人がオートロックを解除して自動ドアが開いた。
後についてマンションの中へ入り、エレベーターに乗り込んで7階を押す。
出前のおじさんは3階で降りて、またエレベーターは静かに上昇した。
あった、ここだ。
エレベーターを降りて右に曲がると、すぐに702号室の表示があった。
電話にも出ないし、寝ちゃったかな・・・?
とりあえず、ベルを押す。
ピンポーーン、ピンポーーン
「・・・」
やはり返事はなかった。
歳三さんの迷惑も考えずに無理やり来ちゃったけど、なんかストーカーみたいだよね・・・。
私はがっくりと肩を落としてその場にしゃがみ込んだ。
せっかく薬買って来たし、メモと一緒に置いて行こうかな。
しゃがんだ体勢のままバッグの中から手帳を出して、1枚破り、メッセージを書く。
「心配で来てしまいました・・・えーっと・・・薬を買ってきたので飲んで、下さい、っと」
口に出しながら、書き終えてビニールの中に入れる。
立ち上がろうとした瞬間、勢いよくドアが開いて、ゴン!と硬いもの同士がぶつかった鈍い音と同時におでこを痛打したのだとわかった。
「ったぁぁぁぁい」
勢いで尻もちをつき、おでこを押さえながら開いたドアを見上げると歳三さんが立っていた。
「お、前・・・大丈夫か?」
熱のせいか、少し赤い顔をした歳三さんに手を差しのべられて起こされる。
「あ、すみません・・・心配で来ちゃいました・・・起きてたんですね」
「ごほっ・・・今のチャイムで起きたんだが・・・ごほっ」
かなり辛そうな歳三さんは立っているのがやっと、という様子だった。
想像以上に具合が悪そうで、あまりこんな場所で立ち話しては余計負担を掛けてしまうと思い、早急に用件を済ませる事にする。
「これ、薬とか体温計とかポカリ入ってますから」
重いビニール袋を差し出して、歳三さんが受け取ると
「それじゃ、お大事にして下さいね」
下に置いたままのバッグを掴み上げてその場を立ち去ろうとして踵を返すと、ぐっと手首を掴まれた。
「・・・看病しに来てくれたんじゃねえのか?」
熱に浮かされた表情の中で鋭い視線がチラっと光って、にっと持ち上げた口元がやけに色っぽく感じる。
「あ、そのつもり、だったんですけど・・・あまりにも辛そうだし・・・」
「入れよ」
私の言葉も聞き終わらぬうちに、顎でくいっと部屋の中を示す。
「え、っと・・・お邪魔します」
歳三さんの部屋は、想像していた男性の独り暮らしの部屋とはかけ離れていた。
散らかるほど物がない、と言った方が正解だろうか。
「電話、くれたんだな」
ベッドに腰掛けテーブルに置いた携帯を手にして、悪ぃ、ミュートになってたみたいだと言って元あった位置へ放り投げる。
私が渡したビニール袋を床に置いて、何か飲むか?と立ち上がり、キッチンへ向かおうとする。
「あ、ダメです!座ってて下さい」
歳三さんの腕を引いてベッドに座らせると、はいこれ飲んで、とポカリを渡す。
さらに体温計を箱から出して、測って下さい、と渡す。
次から次へと指示をする私に押されて、歳三さんは黙ったまま言う事を聞く。
熱冷ましのシートを箱から出して、薬を出して、としているうちに体温計がピピっと鳴った。
腋の下から取り出して、表示を見て
「37.6度だ・・・そうでもねえな」
と体温計を私に戻す。
「夜になったら熱があがるかもしれませんから」
次はこれを飲んで下さい、歳三さんの掌に薬の錠剤を2つ乗せると、そのままポカリで薬を流し込み、ふぅと息を吐いてベッドに横になった。
あ、シート貼った方がいいよね。
さっき取り出した熱冷ましシートのフィルムをはがして、寝ころんだ歳三さんのおでこに乗せようと上から顔を覗き込む。
両手で持ったシートを、貼りますよと彼のおでこに近づけると両手首をやんわり掴まれてしまった。
「あ、ちょ、ちょっと・・・」
歳三さんは私の手からシートを奪い、じっと黙って私を見つめる。
「・・・っ」
両手は解放されたけれど、その潤んだ目許から視線を逸らせなくなって固まってしまった。
すると、突然そのシートを私のおでこにぴたっと貼りつけて
「さっきぶつけたお前のおでこに貼ったほうがいいだろ」
と、冗談ぽく笑う。
「も、もうっ。せっかく心配してるのに・・・」
私は自分のおでこに貼られたシートをはがして、手荒く歳三さんのおでこに置いた。
歳三さんてこんな可愛いことする人だっけ、とか思いながらさっき見た眼差しのせいでドキドキと胸が高鳴っていた。
すると今度は、ベッド脇の床に膝立ちになったままの私の腰に手を回して、寝ころんだ自分の方へ強引に引き寄せる。
私は彼の胸に手をつく状態になり、顔がぶつかりそうな程近くなった。
「さっき」
「・・・えっ?」
「また俺がキス、すると思ったか?」
「っ!!!」
忘れもしない、初めて会ったあの日の事を言っているのだ。
「お、思わないですよっ!」
かあっと顔に熱が集まって、あっと言う間に顔が赤くなってしまったのを自覚する。
「ふぅん、じゃあ」
歳三さんはそう言って、腰に回した手に一層力を入れて私をもっと引き寄せた。
≪土方編4へ続く・・・≫