指折り数えて待っていた7月7日だったが、気がつくともう明日になっていた。
さんざん悩んだ浴衣一式もようやく昨日買い揃えて準備は整った。
昼間、総司さんからのメールで『品川駅の新幹線ホーム、9時に8号車前で』と待ち合わせ場所の指定をされた。
乗車券は彼が持っているので、キャリーバッグの中身を最終確認して、時間に遅れないように今日は早く寝る事にして、9時にはもうお風呂からあがり自分の部屋のベッドに潜り込んでいた。
両親には花ちゃんと一緒に京都へ行くと説明した。
男の人と一緒だなんて、しかも相手がホストだという事は当然言えなかった・・・。
「という訳で、花ちゃんごめんね」
「OK!まかせときって。そのかわり、お土産楽しみにしてるから」
口実に花ちゃんの名前を出してしまった事を携帯越しに再度謝ると、花ちゃんは水臭いなぁ、と笑ってくれた。
「お土産って、花ちゃんの実家って京都じゃなかったっけ?」
「京都は小さい頃住んどってんけど、中学ぐらいで大阪に引っ越したから、あんま記憶ないねん」
「そっかぁ、でも一緒に行きたかったな」
「なに言うてんの、うちが一緒におったら総司さんとラブラブでけへんで?」
けらけらと笑って言った花ちゃんの一言に、顔がぶわっと熱くなる。
「ラ、ラブラブって・・・土方さんも一緒だし、部屋だってちゃんと別々なんだから」
「あぁー、そやったね」
今度はつまらなさそうにトーンを落とした花ちゃんの声に思わず苦笑する。
「でも、もしそんな雰囲気なったらどないする?」
「えぇっ?!そんな雰囲気って・・・」
「せやから総司さんと二人っきりで、鴨川なんか歩いたりして、盛り上がっちゃって・・・」
「だ、だから、土方さんも一緒なんだってば」
「わかってるけど、もしも!の話やんかぁ」
その後も花ちゃんの「もしも話」は延々と続いた。
そして電話を切る間際に
「あっ、でもそう言えば・・・祇園祭って確か7月の後半以降やないと山鉾とか出えへんのやったと違うかな」
と、気になる一言を発した。
「そうなの?」
「うん、確か」
祇園祭と言えば大量の山鉾が巡航したり、1000人ぐらいの人達で市中を歩く花笠巡航などの華やかで賑やかしいイメージしかなかった。
その事を話すと花ちゃんは、小学生の頃もうすぐ夏休みだと楽しみにしてる直前ぐらいにそれらの催しがあった気がすると説明を続けた。
「あっ!もう日付変わってもうてるやん」
「ほんと?あ、寝なきゃっ」
「じゃ、気ぃつけてな」
「うん、ありがとう。おやすみー」
花ちゃんの記憶が確かならば、7日・8日と滞在する間はそれらを見られないのかな・・・。
でもそんな事はすぐ忘れてしまうぐらい私は浮かれていて、遠足前日の子どものように、電気を消して目を閉じてもなかなか寝付く事ができなかった。
約束の時間の9時少し前に品川駅の新幹線ホームに到着した。
1泊なのにちょっと荷物多かったかな、と引いているキャリーバッグを見て、少し混雑しているホームで総司さんの姿を探す。
10号車、9号車とホームに書かれたのを目印に8号車付近を目指して歩いてゆくと、艶やかな長い黒髪、すらりとした綺麗な立ち姿を見つける。
「総司さんっ、おはようございます」
駆け寄って背後から声を掛けると、総司さんはくるりと振り向いて眩しい笑顔で笑った。
「あっ、おはようございます!」
土方さんの姿が見えない事に気がついて、私はきょろきょろと周りを見渡す。
「あれ、土方さんは・・・?」
総司さんは困ったように眉を下げて、ふう、と息を吐き出した。
「土方さん、東京駅から乗ると言ってたんですが、間違えて1本前の新幹線に乗ってしまったそうなんですよ」
意外とドジなとこあるんですよね、と下げた眉を元通りにしてにっこりとほほ笑んだ。
「あ、荷物持ちますよ」
総司さんは私のキャリーバッグに手を伸ばして、取っ手を掴む。
「お、重いっ・・・」
「あっ、ご、ごめんなさいっ・・・その、浴衣とか、着替えとか・・・色々必要かもって何でも詰め込んじゃって・・・」
慌てて総司さんからキャリーを取り返そうと手を伸ばすと
「なんか、嬉しいな・・・」
「へっ?」
「今日の事、楽しみにしてたのは僕だけじゃなかったんだって・・・」
照れながら目を細める。
その表情があまりにも綺麗で、私はうっかり見惚れてしまった。
「そっ、そんな・・・誘っていただいてからずっと、もの凄く楽しみにしてました・・・」
恥ずかしくて最後の方はごにょごにょと小声になってしまったけど、ちゃんと総司さんに聞こえたみたいで、彼も顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。
その後すぐに新幹線が入線してきて、私たちは8号車の指定席へ座った。
「グリーン車だなんて、初めて乗りました」
子供みたいにはしゃいで、大きな座席に深く身体を預ける。
「ふふっ、僕もそうしょっちゅう乗ってる訳じゃないですよ」
発車ベルが鳴って、私達が乗ったのぞみは滑る様に発進した。
京都までの2時間11分、総司さんは色んな話をして楽しませてくれた。
その話の中で祇園祭の事に触れ、今日は八坂神社で行われる綾傘鉾稚児社参(あやがさほこちごしゃさん)を見に行こうという事だった。
京都に到着したらまずは川床料理を食べに行こうと、素敵な写真が載っているパンフレットみたいなものを差し出した。
貴船川に床を敷いて、そこで納涼しながらお食事できるという、なんとも京都らしい優雅な夏の風物詩だと書いてあった。
「えー、凄く素敵ですね」
「そうなんですよ、一度行ってみたいと思っていたのでとても楽しみです」
季節的に鮎や鱧などの懐石料理が食べられるそうだ。
名古屋を通過して少しすると、総司さんが思いだしたように席を立った。
「そういえば、土方さんは先に京都に着く頃だと思うので、ちょっと電話してきます」
そう言って、携帯を操作しながらデッキの方へと出て行った。
確か、1本前の新幹線に乗っちゃったって言ってたっけ。
そう思い出しながら総司さんが戻るまで車窓から見える景色を眺めて待っていると、3分ほどして不可思議な表情で首を捻りながら総司さんが戻って来た。
「連絡、つきました?」
「いえ、それが何度か鳴らしたんですが・・・出ないんです」
「えっ?」
「なんか嫌な予感がします・・・」
総司さんの嫌な予感は見事に的中した。
土方さんは新幹線の中で爆睡してしまい、なんと終点の博多まで行ってしまったそうだった。
それが分かった頃には私達は昼食を済ませ、八坂神社で参拝し終えて、綾傘鉾稚児社参が始まる直前だった。
「全くもう、土方さんは・・・」
総司さんは小さく呟いて携帯電話を閉じた。
「・・・土方さんて意外と・・・」
そう言いかけると
「そうなんですよ、いつも僕が何か失敗すると鬼の首を取ったかのように喜ぶ癖に、あの人、ちょっと自分が天然だってこと気づいてないんですよね」
一気に捲し立てて、はぁ、と息を吐き出した。
兄の愚痴を言う弟の様で、私はなんだかほほ笑ましくなって笑ってしまった。
「あれ?何かおかしなこと言いました?」
「ごめんなさい、違うんです・・・お二人は仲が良いんだなって」
「えー、そんな事ないですよ」
いつも僕にばかりダメ出しするし、パシリの様に私用を押し付けたり、もう本当に酷いんですから!と力説する。
またその総司さんの様子が可愛らしくて、私は緩んだ頬を元に戻せずしばらく笑って話を聞いていた。
ほどなくして綾傘鉾稚児社参が始まった。
お稚児さんよ呼ばれる6歳ぐらいの男の子が6人、紋付袴姿のお父さんに連れられて姿を現した。
周りからわあっと声が上がった。
横の総司さんをチラッと見上げると、柔らかく目を細めてお稚児さんたちを眺めていた。
親戚たちは勿論、周りの見物人たちも一斉にカメラを構えてその可愛らしい姿を撮影しようと駆けだして、私は強く背を押され危うく転びそうになった。
「きゃ」
「あ、大丈夫ですか?」
咄嗟に総司さんに腕を掴まれて、なんとか体勢を立て直す。
ありがとうございます、とお礼を言ってぺこっと頭を下げると総司さんにそっと手を握られる。
「・・・人も多いし、危ないですから・・・」
耳まで赤くした総司さんに小さな声で囁かれて、顔じゅうに熱が集まる。
「はい・・・」
私からもちょっとだけ握り返して、人だかりの向こう側のお稚児さん達に視線を戻した。
八坂神社を出る時に、(長鉾を持つ男児のイラスト)が描かれた団扇を関係者が配っていた。
「はい、どうぞ」
年配の女性が、私と総司さんに1つずつ手渡ししてくれた後、私達の背中に向かって、素敵なカップルねと声をかけた。
まだ手を繋いだままの私たちはお互い照れた顔を見合わせて、くすっと笑い合った。
その後、東大路通りから清水寺へ向かう途中、いくつもお土産屋さんを見て回った。
夏の京都は蒸し暑く、ずいぶんと汗をかいた私達はホテルでチェックインを済ませて、着替えてから夕食に出かけようとその日宿泊するホテルへと向かった。
ホテルへ向かうタクシーの中で総司さんが、この後連れて行きたい場所があると言ったのだが、行き先は教えてくれなかった。
チェックイン時間前にホテルに寄って荷物を預けていた私達は、両手いっぱいにお土産袋を抱えてタクシーを降りた。
ホテルのロビーへ到着すると総司さんの携帯が鳴った。
「あ、土方さんだ」
総司さんは表示を見て電話に出る。
「もしもし?土方さん、今どこですか?」
そう言えばと思って時計を見ると、もうとっくに博多から京都に到着していてもおかしくない時刻だったが、総司さんと二人での時間が楽しくて私は土方さんの存在をすっかり忘れていた。
「ええええええっ?!」
ロビー中に総司さんの声が響いて、私はびくっと肩を跳ねさせる。
「そ、そんな・・・何やってるんですか・・・ちょ、ちょっと・・・土方さん!」
何か問題が起きたのだろうか、総司さんが見た事もない程慌てふためいていた。
「もしもし?・・・土方さん・・・もしもーし、聞こえますか?・・・あっ!」
唖然として携帯画面に視線を落したままの総司さんを見上げる。
「どうしたんですか?」
「・・・京都を通り越して、しかもついさっき名古屋を通り越したって・・・」
「ええええええええっ?!」
今度は私が大声を上げてしまって、慌てて口元を手で覆う。
「それで、電波悪くなったのか切れちゃいました・・・」
土方さんはまた博多からの新幹線の中で爆睡してしまったようだった。
今度は総司さんの携帯がメールを受信して、再び画面を見つめる。
「あ、また土方さんだ・・・えっ、えっ、ちょ、っと、どういう・・・」
総司さんは見る見るうちに顔面蒼白にさせたかと思ったら、すぐに頬を真っ赤に染めて、画面に向かってぶつぶつと何か言っている。
不安げな私の表情に気づいて、総司さんはしょんぼりと肩を下げていきなり謝り出した。
「本当にごめんなさい!」
「ど、どうしたんですか?」
「実は、その・・・土方さんが勝手に・・・」
「はい?」
「○○さんの部屋、キャンセルしてしまったらしいのです」
「え、っと・・・はい?」
笑顔を固まらせたまま聞き返す。
・・・って事は、私はどこに泊まったらいいの?
いきなり総司さんがフロントに向かって走って行ったので私もその後をついて行く。
「あの、沖田です・・・さっき荷物を預かっていただいて」
「はい、お待ち下さいませ」
フロントの男性はいったん奥へ下がって、昼間に預けた私のキャリーバッグと総司さんのボストンバッグを運んでくる。
そしてフロントカウンターの上にカードキーの入った封筒をひとつ置いて、ごゆっくりお過ごしくださいませと頭を下げた。
「いや、その・・・部屋は2つの筈だったんですが、その・・・キャンセルしてしまって」
「はい、確かに沖田さまのお名前でシングルユースのお部屋を1つキャンセルで賜りました」
「そうなんですけど、その、手違いって言いますか・・・部屋は2つ必要なんです!」
「大変申し訳ございません、この時期はキャンセル待ちの客様も沢山いらっしゃいまして、沖田さまのキャンセルされたお部屋はもう別のお客様がチェックインされておりまして・・・」
男性が非常に申し訳なさそうに何度も頭を下げる。
総司さんはホテル側に非は無いんです、でも、部屋は2つ・・・と必死に訴えている。
それでもフロントの男性は、申し訳ございません、しか言わず、総司さんはそれ以上交渉の余地は無いと諦めたようだった。
フロントで受け取った鍵と、預けていた私達の荷物を受け取ってロビーのソファに移動した。
「あの、これ・・・」
ソファに腰を下ろして一息つくと、総司さんは申し訳なさそうにして携帯の画面を私に見せる。
『彼女の部屋は俺が勝手にキャンセルしてやったから。上手い事やれよ』
「え、これって」
さっき土方さんから届いたメールを見て目を丸くしている私を見て、総司さんは力なく頷いた。
「じゃ、私達おなじ部屋って事、ですか?」
「そういう事なんです・・・本当にごめんなさい」
新幹線の代金も部屋の代金も払ってもらっておいて、文句を言える筈がなかった。
「謝らないで下さい、仕方ないですよ・・・もうお部屋空いてないんですよね?」
「らしいです・・・」
総司さんは深いため息をついた。
それにしても、「うまくやれよ」って・・・んー、でもなんかここまで落ち込まれると・・・私と同じ部屋なのが嫌なのかと思えちゃうんだけど・・・。
少しだけ複雑な気持ちになって、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
私がつい暗い表情をしてしまったせいか、総司さんが急に慌てて
「と、とにかく部屋に行きましょうか」
ソファを立ち上がり、自分のボストンと一緒に私のキャリーを持ってエレベーターホールへと歩き出した。
エレベーターに乗り込んで宿泊部屋の階数を押す。
静かに動き出した狭い箱の中、たった二人きりで気まずい沈黙が落ちた。
ポーンと到着をしらせる音が鳴って、扉が開く。
エレベーターを出て、さらに部屋までの通路と仕切られたドアにカードキーをかざす。
ここはエグゼグティブフロアらしく、他の階の宿泊客には利用できなくなっているみたいだった。
総司さんはあれ?っと首を傾げながらカードキーが入っていた封筒に記された部屋番号を探す。
部屋は長い廊下の突き当たりの角部屋だった。
カードを通して取っ手のランプが赤から緑に変わると、カチャっとロックが外れる音がした。
入り口のドアを開けた総司さんに、どうぞと言われて部屋の中へ入る。
「うわぁっ」
部屋は見た事もない程広く豪華で、ベッドルームとリビングが別になっていた。
私が漏らした感嘆の声とは対照的に総司さんが苦笑して
「・・・やっぱり」
と呟いた。
「なにが、やっぱり、なんですか?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「?」
「それより、早く浴衣に着替えて出かけましょう!見せたいものがあるんです!」
総司さんはそう言って笑うと、バッグの中から浴衣や草履を取り出した。
「僕、あっちの部屋で着替えてきますから」
準備出来たら声掛けて下さいね、とベッドルームのドアを開けて部屋から出て行った。
≪総司編6へ続く・・・≫