念のため
先日、人生初の倒れるという経験をした
振り返るとこんな感じだった
倒れる一分前くらいから体がすこし痺れ初めて、座った状態だったが立ちくらみの軽いのが始まった
その状態が治まらずに、深呼吸で治そうと深く息を吸った
したら、心臓がキュッとして立ちくらみのような状態がきつくなった
焦ってヤバイと思ったらくすんだ白の色に体を持って行かれそうになった
白い色は視界の上半分に集中していた
これは駄目だと思ったら意識の99パーセントくらいが飛んだ
残りの一パーセントで頭から落ちないように生存本能が機能し始めた
なぜか座っていたのに倒れた場所は机の横
一度二度は倒れないように耐えたらしい
時間にするとどれくらいかはわからないが意識がとんだ
意識が戻り始めた時瞳孔?目が見開いたような感じで意識が行き来していた
体も必死だったのだろう
大きく痙攣した
止めようとしても止まらない
たぶん貧血ということで片づけたけど少し不安
病院もどこに行っていいのかわからない
脳神経科?
内科?
面倒だから行かなかった
ぽっくり逝ってたら今どの辺りにいるんだろう
人は仏になると敬うよね
生きてる時に合掌絶対日本人はしないのに
生きてる時の方が大事なのにね
改心
人は見かけで判断されることが多い
だから、どうしても食わず嫌いが発生する
判断は何かしらの自分に備わっている基準によって決定される
だから一定の基準を超える行為に関しては何かしらの強制力が働かないと避けてしまいがちになる
そして、自分の世界に限界を感じて人は苦しむ
判断の外の世界には意外と面白いことがあうことがあるみたいで
大物に接触できる可能性が大幅にあがる
安全なポジションでは所詮安全パイしか見つけることが出来ない
人が踏み込まない世界にはあらゆるものがあり、安易に追わずして欲しいパイがツモれる
無理がなくて、過去の努力の儚さを感じる
大物は大物として生まれるのではなくて、大物になれる環境で大物になれる素材があるものがなるように思えた
