(1) ボルネオ奥地での遺体捜索依頼

 

徳島県阿南市の地元木材業者が、南洋材の買い付けにボルネオ奥地にまで出かけた。その川を移動中に猛烈なシャワーにあっという間に激流となり、カヌー舟は転覆し遭難してしまったらしい。

 

遭難者は、木材会社の社長の弟で専務が木材買い付けのため、胴巻きに現金数千万円を抱えたまま行方不明になったとのこと。保険金請求の為にも遺体発見の証拠が必要で至急に捜索して欲しいとの依頼だった。

 

突然のことだったが、依頼者は地元の有力者で当時の衆議員議員・森下元春の後援会長でもあった。議員のコネを使ったらしくすぐに上京してくれれば後は任せておけとのことだった。

 

その日の午後には、潜水具一式、コンプレサー、空気タンク10本、を準備、アシスタントダイバー2名を招集し、急ぎ出発した。高速道路を利用して夕方には上京し、議員会館の森下事務所に着いていた。

 

上京し、第2議員会館の森下氏を訪ねると作業着のままなので守衛に怪しまれた。やっとのことで会館内の議員室に案内されたが、議員からはこの部屋に作業靴のまま赤い絨毯を踏んだ男はお前だけと言われてしまった。

 

暫くすると、銀座で要人専門の旅行社が現れ、予防注射だけ済ませると議員特権の待遇で羽田に向かった。翌日には機上の人となり、シンガポール、マレーシアなどはフリーパス入りしていた。

 

荷物が多く、また事前準備なしの異国での言葉ができない移動だけに苦労させられた。怖かったがベニヤ板張りの小型モーターボートをチャーターし、流木を避けながら川上を目指した。

 

途中、高床式のロングハウスと呼ばれる人喰い人種がすむ集落を過ぎ、濁流を遡る。灼熱のジャングルが終点で、一軒だけある教会に頼んで捜索と宿泊許可を取り付け開始準備を済ませた。

 

プロの目で環境、地形、日数などの総合判断で潜水の捜索個所として選んだのは”淵”だった。もし、遺体があるならばこの場所が確率が高い。日本での遺体捜索現場も”淵”が多かったので選んだ。

 

太陽の届かない水深15メートルまでは、アンカーロープにつかまり降下する。アンカーに5メートルのロープを結び、横に伸ばし端まで行き来する。その間手探りで円形状に探索する方法を採用した。

 

この方法は、アメリカ海軍仕込みの「サークルリサーチ」と呼ばれる視界のないところでの探索法である。

 

炎天下、同じような地形を探し懸命な捜索活動を試みたが、人骨かと思いきや豚骨が多かった。また、即席で現地製作した鳴門漁師が底地漁で使う地引網で川底を引いて探索したが無駄だった。

 

余談ながら帰国前日、教会の宣教師のすすめで、人喰い人種の部落に案内してくれることになる。酋長に会うため、頭蓋骨(しゃれこうべ)が飾られている部屋に通され肝を冷やしたが、酋長から歓待され、一夜泊まるようにとのことだった。

 

宣教師の通訳によると、お客様には部落にいる好みの若い娘と一夜をともにさせるのが最大の歓待を意味するとのことだった。この習慣には、さすがの「昭和の龍馬」も首狩り族とは関わりたくなかったのでほうぼうの体で逃げ帰った貴重な体験があった。