(1)帰国後郷里で執筆活動開始

 

1967年4月(昭和42年4月)頃より自宅で資料の整理や新聞社からの依頼で執筆生活に入っていた。当時はまだ、海外渡航は珍しい時代で海外に出かけられる人物は、芸能人か政治家に限られていた。

 

一般の無名の青年がハワイ、ロスアンゼルス、フロリダで「ダイビング留学」をしてきたことは、ニュースとして記事になった。

 

特筆すべきは、愛媛県南宇和の「みかん農家の青年、田中和栄君」からの手紙だった。彼からの手紙によると「単純な夢として海の中で住んでみたい」とのことだった。

 

ただ彼の場合、田舎のみかん農家の出身で潜水物理学や潜水病の知識もなく、ダイビングの経験さえもなかった。無鉄砲さはあったが、海への憧れは人一倍強かった。

 

彼は、自力ですでに親せきの鉄工所に頼み込み、「海底ハウス」を製作していた。その後、専門的なアドバイスを加えながら青年の純粋な夢を育て協力した。

 

遂には、安全で成功率の高い「海底ハウス居住実験」を吉田湾の水深7メートルで沈設作業を開始した。これは、民間人が行った世界初の「海底居住実験」だった。