郡都として経済・観光の中心である名瀬市は、4月現在5万人弱となり奄美群島12市町村でも10万人弱となっている。

 

名瀬の実状を探ってみると、ピーク時1985年・1月~3月は5万人を超えていた。当時は、米軍統治下を経て日本復帰に向けた島民の生活は、混乱していた。

 

島内においてもさまざまな課題に向き合うことに精一杯で農業と地場産業の大島紬の隆盛が続き人口は増えた。しかし、85年以降は大島紬の低迷と重なるように人口も減っていった。

 

その後は、観光業をメインにしたサービス業への傾斜が目立ち始め人口流動が活発化するとともに島内にもトンネル開発が進み生活圏が一変していった。

 

また、若者たちの多くは島外に進出し、人口流出に拍車をかけ人口減少が続いた結果が現在の5万人割れとなっている。奄美群島12市町村でも人口減少の一途をたどり、初めて10万人を下回った。

 

現在ではどこの首長も、人口増に腐心しているが中には、安易な自衛隊基地化による隊員とその家族の呼び寄せで一時的な人口増で、その場限りの満足をしている。

 

これでは、決して解決策にはならない。もっと真摯に取り組まなければ未来は厳しく島の発展はおぼつかないだろう。