レイヴンは窓外の超高速雲流を眺めるともなく見遣りながら、ハヤミ総司令の待つオフィスへと浮揚推進していた。

 呼び出しを受けたのは、昨日の夜だった。

「明日の朝、私のオフィスに来てくれたまえ」

 感受帯角質に届いたメッセージはごくシンプルなもので、何々の用件でとか、何々について君に確認したいとか、それどころか「君に話がある」という基本的な呼び出し事由さえ、書かれていなかった。

 それは何故か。それは、そういう“余計なこと”を書くと、レイヴンがオフィス訪問を拒否する可能性があると判断された(のだろう)からだ。

「いついつ、どこそこに来てくれたまえ」

 それだけで切ってしまっておけば、取り敢えずレイヴンは

「何かぼくにご用ですか?」

と、質問を返さずにはいられない。あるいは、もっとぶっきらぼうに

「なぜですか?」

と。そしてレイヴンがそのような、“反応を返す”という行動を取った時点で、総司令の目的の五十パーセント方は達成されたことになるのだ。

 うちのボスは、なかなか頭がいいな――レイヴンはそう思いながら、窓外の超高速雲流を眺めるともなく見遣りつつ、ハヤミのオフィスへ向かっていたのだった。

 ――だけどぼくも、負けてはいない。

 鼻息荒く、彼は心を強くした。

 ――ぼくもそれなりに、経験を積んできた。キャリアだの、スキルだの、そういうものを手に入れ身につけ、そう、大人になったんだ。そのおかげで、何も聞かなくてもわかりますよ、ボス。

 あらためて窓の外を見遣る。情容赦のない超高速雲流が、窓外をころがり落ちていく。

 ――これからあなたがぼくに話して聞かせる事が、ばかばかしいほど“嫌な話”なんだろうってことが。

 

 ハヤミのオフィスのドアは、好い色をしている。レイヴンの好きな色だ。つまり“美味そうな色”というやつだ。

 今日も、相変わらず美味そうなドアだ――そう思いながらレイヴンはそのドアに指で触れた。じゅわじゅわじゅわ、と触れた部分からドアが解けてゆき、レイヴンが通り抜けられるほどの大きさの穴がそこに開いた。レイヴンは潜った。じゅわじゅわじゅわ、とドアはレイヴンの後ろで元通り癒着をした。

「やあ、レイヴン。調子はどうかね」ハヤミ総司令は主触手を軽く上げ、にこやかにレイヴンを迎え入れた。

 レイヴンは、探られているのを感じた。

 他者と向かい合う時、相手を自分より格下と見ている者は相手をあからさまにじろじろと観察する。何か批判や否定できる箇所を探るのだ。所謂「粗探し」というやつだ。

 逆に相手を自分より格上と観る者は、なるべく相手を観ないようにする。できるだけ短くその時間をやり過ごそうと望むのだ。

「はい、おかげさまで感受力判断力伝達力、浮力推進力耐久力、どの項目も精鋭レベルをクリアしています。絶好調ですよ」レイヴンもまたにこやかに真実を述べた。

「結構。さて、今日ここに来てもらったわけだが」ハヤミはサブ触手を一本立てた。「短刀直入に言おう」

「はい」

「オリュクスが見つかった」

「え」レイヴンは目を見開き声を高めた。「ほんとですか!」

「それだけじゃない」ハヤミは頷きながら続ける。「コスも。そしてキオスもだ」

「すごい……」レイヴンは声を震わせた。「一体どこで?」そう訊ねた瞬間、レイヴンの脳裡に稲妻が閃いた。

 これを訊いちゃ、いけないんじゃないのか!

「地球だ」遅かった――ハヤミはうきうきしているように見えた。「地球でだ! レイヴン!」主触手もサブ触手も全部、頭上高く差し上げる。

「ああ」レイヴンはかすかに二、三度頷いたが、もはや彼の表面上に表情や表現という類のものはなかった。「地球」あの、人間のいる所。レイヴンは心の中だけでそう付け加えた。

「そうだ」ハヤミは答え頷いた。「君にはそこに行ってもらう」

 えーっ。レイヴンは心の中だけで思い切り不満の声を挙げた。「ボス」表面上はあくまで冷静に、意見を述べる。「ぼくの遺伝的特質はご存知ですよね? ぼくって」

「レイヴン=ガスファルト」ハヤミは表情ひとつ変えずに遮った。「これは我々運営の決定事項だ」ついに、レイヴンに伝えられていなかった“ウラ事情”が明るみに引っ張り出された。最後通牒だ。

――しかし」レイヴンは必死に抵抗の言葉を探した。「万一ぼくの遺伝的特質が原因でトラブルが起きてしまったら」

「トラブルは起きない」ハヤミは主触手を、否定の意味を示す振り方で振った。「何故なら君がうまく回避するからだ」サブ触手がレイヴンを指す。

――」レイヴンは黙り込んだ。もう、口を閉じる時だ。彼はそう知った。

 

          ◇◆◇

 

 さて地球。

 レイヴンは出張の準備を始めるしかなかった。まずは殻の状態確認及びメンテナンスだ。殻をこつこつと叩いてみる。いい音がする。指先でしばらく触れる。じりじりとその部分から煙が上がりだし、焦げる匂いが立ち込める。指を離す。そうすると焼け焦げは直ちに自動修復され、何もなかったように殻は元通りの形状に戻る。上出来だ。

 …………地球かあ。

 レイヴンはふう、とため息をつきながら窓の外を見た。窓の外には高速の雲流が飛び去って行く。氷でできた雲だ。その中を、子どもたちが元気に飛び回る。きゃっきゃっと楽しそうに笑い声を挙げて。上の子がケイシ、コンマ0468歳になったばかりだ。下の子はナウル、生まれたばかりで足がおぼつかないが必死でお兄ちゃんについて行こうとする。

 知らない間にレイヴンは笑いを浮かべていた。そのことに気づき、ふう、とまたため息をもらす。

 地球かあ……

 気を取り直して、レイヴンは予備触手を伸ばし殻に接続した。レイヴンの中身であるミネラル液が殻の細胞にゆきわたり、潤しふくらませていく。殻は鮮やかな色に変わり、レイヴンは予備触手を離してもういちどふう、とため息をついた。

「地球へ行くんだって?」ラサエルの声が背後から聞こえた。

 振り向くと彼は、いつものごとく気だるげにゆらりゆらりと浮かんでいる。

「うん」レイヴンは小さく頷いた。「しばらく、帰って来れないよ」

「けどお前……大丈夫なのか? 地球なんて」

「うーん」レイヴンは苦笑した。「不安がないといえば嘘になるけどね」

「俺は不安だよ」ラサエルも笑ったが、眼は笑っていなかった。しばらくじっとレイヴンを見た後、ラサエルは主触手を広げて彼を抱き締めた。「運営の奴らなんて、糞食らえだ」

「まったくね」レイヴンも同じように主触手を回して抱き締め返す。「子ども達をよろしく頼むよ」

「ああ」ラサエルは身体を離した。「俺たちの大事な子どもだ。任せとけ」

「ぼくは人間たちのお相手だ」レイヴンは自虐的にまた笑った。「あいつら、今度はどんな理由で殺し合いをするんだろうな」

「可哀想な人間たち」ラサエルは言った。「と、表向きは言っておこう」

「本音は?」

「勝手にしろ、お前ら。だ」