いま一番欲しいもの
それは自分を愛するちから
自分で言って恥ずかしい、、、
恥ずかしいけれど本心である。


私の知り合いのお嬢さんは小学校5年生。
すごい重篤な食物アレルギーを持っていて
ママは仕事をセーブして娘の食べ物や
日々の生活に気を配っている。
上にお姉ちゃまが二人いるので
その子たちの食べるものと区別しつつも
彼女がのびのびと幸せに暮らせるよう
愛情を注いでいる。


つい最近お誕生日を迎えたその子が
自分の誕生日に
お母さん、産んでくれてありがとう
と言ったそうだ。  
なんて素敵な話だろう。
きっと家族に愛され自分は特別ではない
という愛に溢れているのだろうなぁ
と容易に想像できた。


今更ではあるが、父を脳外科に連れて行き
待ち時間に、母に私の幼少期のことを
聞いてみた。
私は幼い頃どんな子供だったの?


母は少し考えてから
そうねえ
一言でいうと明るくて誰からも愛される
そんな子供だったわよ
興味があるとどこにでも飛んで行って
分け隔てなくお友達と仲良くできて
この子はひとりで生きていける子だと
思ったという。


いつからか、大人になるにつれ
自分のことを愛せなくなった。
こんなにも愛されていたのに
そのことをすっかり忘れてしまっていた。


求めよさらば与えられんという
聖書の言葉がある
アドラーは
与えよさらば与えられんと言った。
でも、違う
自分とそりが合わない人はどんなに
がんばっても自分から求めようが
与えようがそれは変えられない。


実は満たせよさらば与えられん
ではないかと、私は思う
自分を愛せなければ
人に愛を与えることはできないと
人を愛する前に自分を愛する
それが幸せの形ではないかと
思うようになってきた。


診察室から父の名前が呼ばれて
ゆっくり立ち上がりながら
案外あなたが思っている自分と
人が思っているあなたは違うものよ
と母がつぶやいた。


ありがたい気持ちで心が何か
とても大きくて温かいものに
包まれたそんな気がした。
声に出さず産んでくれてありがとう
と心の声にする。


ただ、私が自分を愛せるように
なるためにはもっと時間がかかりそうだ。
これが私の一番欲しいもの
人に優しくなるためにも
もっと自分に優しくなろう






 

 

 

 

 

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