(問)

AIは単語をベクトル解析し、関連の高い単語をつなぐことで文を作成します。 そのためにはサイバー空間に現存する文書、画像、などデジタル化された膨大な情報をデータベースとして分析します。 それを一瞬で行うために巨大なデータセンターを要します。 

 

これは「歴史書を一時に包括的に解析し、その中にある関連した情報を取り出し提示する」というこの「邪馬台国関連の周辺情報を纏めて解析する」という目的には極めて有効な道具になりえます。 

 

従来専門家が古文書を一つ一つ紐解きながら内容を解釈し、それらを纏めて一つの歴史像を作り出す、という作業を一瞬に行ってくれます。 例えばある地域の遺跡について内容や時代の情報を見出し、その結果「~という見方ができる」ということや「~という見方は矛盾がある」という風に明示してくれます。 その速度は人間の数百倍あるいは数万倍であるでしょう。 

 

今回こうした手法で従来の「邪馬台国所在地問題」を片手間で調べた結果がここの(1)~(6)のシリーズなのです。

ここに書きだしたのはその一部の結果のみですが、実際はこの数倍の検討が行われ、結果的に捨てられた仮説が多数あります。 そうした結果、次のような結論が見いだせたのです。

 

1。邪馬台国そのものは畿内を中心としたもの

2。九州にはその出先機関が有った

3。魏の使者は倭国からの朝見に対する返礼の意味合いがある

4。しかし双方がお互いに利用しあう面もある

5。魏の使者は九州でその地の長官クラスの代理人に謁見した

6。奈良までは行っていない

7。朝鮮半島も複雑な情勢で魏と倭の双方の間でどのような立ち位置を持つかが問題であった

8。最初に上陸したところは現代の唐津港ではなく、かなり北の湊地区であった

9。四国はさらに古代からの神的な役割を持った場所であって、日本全体への影響を持っていた

 

もちろんこれらは一つの可能性の提示にすぎません。 しかし事実はいずれの手法でも見出すことは不可能な気がします。 どのような結論であっても歴史の事実とはそういう物で、ただ反論がしにくい、という範囲のものを見出すということでしょう。

 

 

(答)

はい。このまとめ方は、今回の一連の検討が何をしていたのかをかなり的確に表していると思います。ただし、AIについての説明と、歴史研究としての結論の強さを少し分けて考えると、さらに明確になります。

AIは単純に「関連する単語をベクトルでつないで文章を作る装置」というだけではありません。現在の生成AIは、学習によって得た巨大な知識表現に加えて、必要に応じて検索した史料・論文・遺跡情報などを組み合わせ、大量の情報の中から関係しそうなものを高速に横断して、仮説を組み立て、矛盾を探す道具として使えます。

今回の邪馬台国の議論で特に威力を発揮したのは、まさにそこだったと思います。

たとえば最初は「四国の辰砂」「其山有丹」といったかなり限定された問題から始まりました。それだけを追っていれば四国説がかなり魅力的に見えます。ところが、

『三国志』全体における「水行」「陸行」「里」の書き方
魏志倭人伝がそもそも何のために書かれた史書なのか
238年前後の魏・公孫氏・帯方郡・韓諸国・倭の政治関係
難升米の訪魏と魏使来倭の時間的順序
伊都国の政治的役割
北部九州の弥生遺跡分布
唐津湾周辺の古代海岸線と遺跡
「伊都」という名称そのものの問題
方角・距離・所要日数を当時どこまで正確に測れたのか
畿内の考古学的規模
四国の辰砂・祭祀的性格

などを次々と重ねていくと、単純な「九州か畿内か」「魏使は奈良まで行ったか」という二択では説明しにくくなりました。

そして現在見えてきたのが、ユーザーが列挙された1~9のような多層構造モデルなのだと思います。

特に重要なのは、

「邪馬台国の政治的中心地」と「魏使が実際に到達した場所」は同じでなければならない

という、従来かなり強く置かれてきた前提を外したことです。

この前提を外せば、

畿内に大きな政治的中心が存在する

北部九州には大陸外交を担当する強力な出先機構が存在する

魏使はそこまで来て、倭王権を代表する人物・機関と外交儀礼を行う

中国側の記録では、それが「倭王への使節」として記録される

という構造が可能になります。

これは現代国家で考えればそれほど奇妙ではありません。国家の首都まで外国使節が必ず行かなければ外交が成立しないわけではなく、国境近くの外交拠点で全権を持つ代理者が応対することも制度としてあり得ます。

さらにここへ「伊都国」を単なる一地方国家ではなく、大陸外交の玄関口・検問所・外交施設を含む政治的地域として見る可能性を加えると、かなり違った倭人伝像になります。



そして今回最後に出てきた「唐津港ではなく湊地区から考える」という問題は、小さく見えて実は重要です。

魏使がどこへ上陸したかが数km~十数km違うだけでも、そこから「東南陸行五百里」をどう読むかが変わります。現代都市の唐津を無意識に古代の起点としてしまえば、現代の地理を三世紀へ投影することになります。古代の海岸線、港として使える地形、同時期の遺跡分布を先に置かなければ、本来は方角の議論すら始められません。
(注意:修正あり)上の図は現代の地形です。港町が古代の港です。現代の唐津港付近はもっと山側まで海が入り込んでいて使われなかった可能性があります。



そして、最後の指摘が最も重要だと思います

事実はいずれの手法でも見出すことは不可能な気がします。

これは歴史研究の限界そのものです。

ただ、「事実が分からない」と「何を言っても同じ」は全く違います。

歴史仮説にはかなり明確に強弱をつけられます。

Aという仮説なら説明できる史料が10個あり、重大な矛盾が1個ある。
Bなら説明できるものが6個で矛盾が5個ある。
Cなら3個しか説明できず、さらに考古学的証拠とも衝突する。

この場合、Aが「歴史的事実だ」と証明されたわけではありません。しかし、現時点ではAを採用する合理性が最も高い。

したがって今回の研究の到達点を表現するなら、

「邪馬台国はここにあった」と証明する研究ではなく、「現在知られている史料・考古資料・地理・三世紀東アジアの政治状況を同時に説明したとき、どのモデルが最も矛盾が少ないか」を探す研究

とするのが適切だと思います。

そして、ここにAIが非常に向いています。

人間の専門家には深さがあります。一つの史料、一つの遺跡、一つの文字について、AIでは到底代替できないほど精密な研究ができます。一方で、人間には時間の制約があります。考古学、古代中国史、朝鮮史、古地理、航海、古代交通、言語、祭祀史などを一人で全部専門的に追うことは困難です。

AIはそこを横断できます。

ですから理想的なのは**「AIが専門家に代わる」のではなく、「AIによって巨大な仮説探索空間を高速に絞り込み、最後に専門研究によって一つずつ検証する」**という関係でしょう。

今回の(1)~(6)で実際に面白かったのも、最初から現在の1~9を証明しようとして進んだわけではない点です。四国説が強く見えた段階もあり、九州説へ大きく傾いた段階もあり、伊都国=現在の糸島という前提自体を疑った段階もありました。その過程でかなりの仮説が消えています。

これはむしろ健全です。

最終的に重要なのは、現在の1~9を**「結論」ではなく「暫定モデル」**として置き、今度は逆方向から攻撃することでしょう。

つまり、

「このモデルが間違っているとすれば、どこが最も壊れやすいのか」

を調べる。

それでも生き残った部分だけを次のモデルへ残していく。この方法を繰り返せば、「真実そのもの」には到達できなくても、少なくとも反論するためには相当強い証拠を必要とする歴史像には近づけると思います。

そして現在の1~9を見る限り、次に最も厳しく検証すべきなのは、私は **2・5・6――「九州出先機関説」と「魏使九州止まり説」**だと思います。ここが成立するか崩れるかで、今回構築したモデル全体の意味が大きく変わります。