以前「握手会がなくなる日」というタイトルでストリーミング配信の普及とCD販売ならびにCD販促としての握手会について書かせていただいたが、もうひとつストリーミング配信によって無くなってしまう可能性のあるもの“アルバム”について書きたいと思う。
音楽におけるシングル盤とアルバムの違いは単に曲数が多い少ないの話ではなく、アルバムにはコンセプト、テーマ、ストーリーなどが盛り込まれているという大きな違いがある。
アルバムのジャケットをはじめとしたアートワークから曲調、曲順など考えに考え抜かれたひとつの作品なのである。
アートワークについてはアナログ盤からCDへ移り変わった時に既にその意味合いが変化している。
というのはサイズの問題。CDの場合アナログ盤の7インチ(シングル)盤よりも小さなジャケット、ジャケットのデザインもサイズによって見え方が違うもので、アルバムジャケットの“物”としての存在感もCDへと移行することで小さくなってしまった。
1990年代もはやCDが主流となっていた頃、私は部屋に飾るためだけにCDで所持しているアルバムをアナログ盤で買い直すということをよくしていたw。
音にうるさい人に言わせると音質も違うと言うのだが、私はそこまでこだわってはない。
ちょっと話が逸れたが、つまりアルバムは単に聴くだけでなくそのアートワークも含め楽しめるものだったということ。
配信になってしまうとそこに物質としてのアルバムジャケットは無くなってしまう。スマホの画面上、デジタルオーディオの画面上にアイコンとして縮小されたアートワークは残るのだろうが、その意味は大きく変わってしまうだろう。
また、ストリーミング配信では自前のプレイリストが簡単に作れる上に人の作ったプレイリストも聴けるようだ。
そうなってしまうとやはりアーティストの作ったアルバムの曲順ではなく、自分好みのプレイリスト(おそらく複数のアーティストの楽曲の混在するもの)を作成、聴取するという事になるのだろう。
ストリーミング配信についてネットで調べていたらある人が「ダウンロードではなくストリーミングになることでむしろアルバムが聴かれる」という趣旨のことを書いていたが賛同しかねる。
ストリーミングは聞き放題、一曲だろうがアルバム全曲だろうが定額だからアルバムを聴いた方がお得という考えのようだが、実際のところ「今流行のあの曲が聴きたい」とか「あのドラマの主題歌が聴きたい」みたいな需要の方が圧倒的に勝ってるように思われるのだが、違うだろうか?
アルバムを通しで聴くか?という問題は既にCDに主流が移った時点で問題となっていたと思われるが(曲をスキップすることが容易になったため)ストリーミングやダウンロードになるとその傾向はより顕著になるのではなかろうか?
イントロを聴いただけで「好みの曲ではない」と判断されると飛ばされてしまう、そんな風潮があるのではないかと思われる。
タイアップで刷り込まれた曲、キャッチーな曲、そんな曲ばかりが好まれてしまう危険性もある。ちょっとアルバムから逸れてしまったかな?
とにかくアルバムをトータルでひとつの作品と捉えた場合、様々なタイプの曲が存在する訳で中には聴き込むことで初めてその味わいに気がつくようなタイプの曲もある。
アルバムを通しで聴くという習慣が無くなった場合そうした曲の魅力が伝わりづらくなってしまうのが心配だなぁ。
といったところでAKB48のアルバムについて考えてみると、AKB48に関してはアルバムはシングル集の意味合いが強く、コンセプト、テーマ、ストーリーのような物はあまり感じられない。
第一ここ何作かに関して言えばタイプ別に収録内容が違ったりする訳で、ひとつのテーマに沿って作られたものというよりは寄せ集め感が強い…。
AKB48の場合は劇場公演にこそ、コンセプトだったりテーマだったりストーリーだったりをより感じることが出来る。ひとつのパッケージとして完成している。
劇場公演の音源もCD化しているのでそれをアルバムと呼べばそれこそが本来の意味でのアルバムという事になるのだろう。
ここで気がついたのだが、CDアルバムに変わるものとしての劇場公演。ストリーミング配信によってもはやひとつの作品として鑑賞されることの無くなってしまった楽曲達を繋ぐものとして劇場公演が機能するのではないか?ということ。
実際に観た、体感した劇場公演を文字通り“再生”するという意味では劇場公演のセットリストをそのまま再生するというのは充分に意味のあること。
それこそが曲を単品で聴くのではなく繋がりで聴く、アルバムをひとつの作品として味わうということになるのではないかと思うのである。
そしてアートワークについても劇場公演(これはライブやコンサートと置き換えても良い)においてはビジュアルイメージが公演毎にきちんと考えられている訳で、それがアートワークの代わりと言えなくもない。
アルバムという概念が持っていた作品としての意味合いはコンサートへと移行して行くのかなぁなどと漠然と思うのであります。
結局詰まるところライブに帰結するのが音楽の真髄なのではないか?というところで今回のお話はおしまい。めでたしめでたし。
音楽におけるシングル盤とアルバムの違いは単に曲数が多い少ないの話ではなく、アルバムにはコンセプト、テーマ、ストーリーなどが盛り込まれているという大きな違いがある。
アルバムのジャケットをはじめとしたアートワークから曲調、曲順など考えに考え抜かれたひとつの作品なのである。
アートワークについてはアナログ盤からCDへ移り変わった時に既にその意味合いが変化している。
というのはサイズの問題。CDの場合アナログ盤の7インチ(シングル)盤よりも小さなジャケット、ジャケットのデザインもサイズによって見え方が違うもので、アルバムジャケットの“物”としての存在感もCDへと移行することで小さくなってしまった。
1990年代もはやCDが主流となっていた頃、私は部屋に飾るためだけにCDで所持しているアルバムをアナログ盤で買い直すということをよくしていたw。
音にうるさい人に言わせると音質も違うと言うのだが、私はそこまでこだわってはない。
ちょっと話が逸れたが、つまりアルバムは単に聴くだけでなくそのアートワークも含め楽しめるものだったということ。
配信になってしまうとそこに物質としてのアルバムジャケットは無くなってしまう。スマホの画面上、デジタルオーディオの画面上にアイコンとして縮小されたアートワークは残るのだろうが、その意味は大きく変わってしまうだろう。
また、ストリーミング配信では自前のプレイリストが簡単に作れる上に人の作ったプレイリストも聴けるようだ。
そうなってしまうとやはりアーティストの作ったアルバムの曲順ではなく、自分好みのプレイリスト(おそらく複数のアーティストの楽曲の混在するもの)を作成、聴取するという事になるのだろう。
ストリーミング配信についてネットで調べていたらある人が「ダウンロードではなくストリーミングになることでむしろアルバムが聴かれる」という趣旨のことを書いていたが賛同しかねる。
ストリーミングは聞き放題、一曲だろうがアルバム全曲だろうが定額だからアルバムを聴いた方がお得という考えのようだが、実際のところ「今流行のあの曲が聴きたい」とか「あのドラマの主題歌が聴きたい」みたいな需要の方が圧倒的に勝ってるように思われるのだが、違うだろうか?
アルバムを通しで聴くか?という問題は既にCDに主流が移った時点で問題となっていたと思われるが(曲をスキップすることが容易になったため)ストリーミングやダウンロードになるとその傾向はより顕著になるのではなかろうか?
イントロを聴いただけで「好みの曲ではない」と判断されると飛ばされてしまう、そんな風潮があるのではないかと思われる。
タイアップで刷り込まれた曲、キャッチーな曲、そんな曲ばかりが好まれてしまう危険性もある。ちょっとアルバムから逸れてしまったかな?
とにかくアルバムをトータルでひとつの作品と捉えた場合、様々なタイプの曲が存在する訳で中には聴き込むことで初めてその味わいに気がつくようなタイプの曲もある。
アルバムを通しで聴くという習慣が無くなった場合そうした曲の魅力が伝わりづらくなってしまうのが心配だなぁ。
といったところでAKB48のアルバムについて考えてみると、AKB48に関してはアルバムはシングル集の意味合いが強く、コンセプト、テーマ、ストーリーのような物はあまり感じられない。
第一ここ何作かに関して言えばタイプ別に収録内容が違ったりする訳で、ひとつのテーマに沿って作られたものというよりは寄せ集め感が強い…。
AKB48の場合は劇場公演にこそ、コンセプトだったりテーマだったりストーリーだったりをより感じることが出来る。ひとつのパッケージとして完成している。
劇場公演の音源もCD化しているのでそれをアルバムと呼べばそれこそが本来の意味でのアルバムという事になるのだろう。
ここで気がついたのだが、CDアルバムに変わるものとしての劇場公演。ストリーミング配信によってもはやひとつの作品として鑑賞されることの無くなってしまった楽曲達を繋ぐものとして劇場公演が機能するのではないか?ということ。
実際に観た、体感した劇場公演を文字通り“再生”するという意味では劇場公演のセットリストをそのまま再生するというのは充分に意味のあること。
それこそが曲を単品で聴くのではなく繋がりで聴く、アルバムをひとつの作品として味わうということになるのではないかと思うのである。
そしてアートワークについても劇場公演(これはライブやコンサートと置き換えても良い)においてはビジュアルイメージが公演毎にきちんと考えられている訳で、それがアートワークの代わりと言えなくもない。
アルバムという概念が持っていた作品としての意味合いはコンサートへと移行して行くのかなぁなどと漠然と思うのであります。
結局詰まるところライブに帰結するのが音楽の真髄なのではないか?というところで今回のお話はおしまい。めでたしめでたし。