家族会議の時に

父はお酒を飲んでいた。これからやりたいこと、やり残した事を話し合いました。

ほろよいでなんか健康なひとみたいな気持ちになれた、と言っていた。


私と妹は父から病気の説明を受けた。

切除可能境界線にいると言うことやステージなど。

どうしていいかわからないのですとりあえず診断された病院のがんケアセンターに相談しに行くことにしてそこで看護師さんから一年後には今の仕事量の2割ぐらいしか出来ないと思ってた方がいい。や、

抗がん剤しながらディズニーランドにも行けたって言ってる人もいるから!大丈夫よ。

みたいなことを言われ、知識のない私たちは

逆にすごく不安になった。え?そんなに大変な治療なの?😱と。


そしてもっと詳しく聞きたいと主治医の先生にゴリゴリ電話で聞いていたら電話だと解りづらいので

時間をとるので○○日の○時に病院へ来てください。と時間を作ってもらえた。


その日を迎えた。

異例の大雪。不要普及の外出は控える様にとのアナウンスの中、私達は先生のところへ。


主治医の先生からは大きさはそんなに大きいものではないが、

場所が太い血管を巻き込んでいるからオペは出来ないと伝えられた。先生の見立てだとステージ2a。

先生は私より年下で34才!

しかし物腰の優しい先生で何度も他に聞きたいことはありますか?と言ってくれた。

これから気をつけた方がいい事、

戦うために何が大事かなど、良く聞いた。私は泣いてしまった。妹はメモをしっかり取っていた。


先生にセカンドオピニオンの話もした。

快く承諾してくれた。


どこがいいのか解らないので、重粒子線治療をやっている国立がんセンターの外科と内科。

に書いてもらった。


一月にわかったのに、治療開始が3月で2ヶ月もある事に兎に角焦っていた。


そこからは毎日血まなこになりながら夜な夜なスマホに向かい情報収集。

今は2023年なんだ!

何か絶対先進的なものがあるはずだ!

と。


ここまでで

先生が口を酸っぱくしておっしゃってくれてたのは

標準治療が最高治療です。


先進的なものがいいに違いない!と思っていたが、

未承認ってことは標準治療になりえなかったともとれるとか。


色々勉強になる事ばかり。