目黒区下目黒にある大圓寺を参拝しました
目黒から行人坂を下りていく途中にあります
松林山大圓寺と号する天台宗寺院で本尊は
「釈迦如来」です
江戸時代の寛永年間(1624~1644)に
湯殿山修験道の行者大海により創建された
と伝えられています
明和9年(1772)2月の明和の大火(行人坂火事)
の火元となった寺とのことです
江戸時代後期の嘉永元年(1848)に薩摩藩主
島津斉興の菩提寺として再建されています
大圓寺 寺号標
江戸城裏鬼門を護る大黒天を奉安
大圓寺山門 松林山の扁額
本堂
石仏群 東京都指定有形文化財
「行人坂の火事」で亡くなられた
14700人余の人々の供養で建立
全部で520体余の石仏
釈迦堂 生身釈迦如来立像(国・重要文化財)安置
本堂
金箔の薬師如来像
自分の身体の悪いところに
金箔を貼って祈願します
阿弥陀堂 阿弥陀三尊のほか
「西運の木彫」「お七地蔵」など安置
八百屋お七と吉三(西運)の説明板
八百屋お七と吉三(西運)
江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は、天和2年(1682年)の火事の際、避難のためしばらくの間近くの円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が16才、吉三が18才でした。
しかし、短い避難生活のこと、やがて離れ離れになってお七は吉三に会いたさゆえに乱心し、自宅に火を放ったのです。大事には至らなかったものの、当時は放火は火あぶりの大罪。お七は江戸中引き廻しの上、大井・鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられました。
その後、恋人吉三は剃髪し、西運と名を改めて、お七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国巡礼を行脚しました。その後、江戸に戻った西運は、大圓寺の坂下にあった明王院(現ホテル雅叙園東京)に阿弥陀三尊仏を祀り、身を寄せながら隔夜日参一万日という念仏行を始めました。浅草寺までの道のりを雨の日も雪の日も休むことなく、鉦(かね)をたたき念仏を唱えながら、一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げました。その夜、お七が夢枕に立って成仏した事を告げたのですが、そのお姿が今現在も阿弥陀堂に祀られているお七地蔵になります。……』
☆ご覧いただきありがとうございました