【終焉】「自由な市場」はもう存在しない?
国家資本主義の先に待つ「支配」の正体
公開日: 2025年12月23日
今日は、私たちの生活の根幹に関わる、非常にショッキングでありながら避けては通れないテーマについて深掘りしてみたいと思います。
テーマは、「自由主義的資本主義の崩壊と、その先に現れる新たな支配」についてです。
「努力した企業が報われ、失敗した企業は淘汰される」……そんな私たちが信じてきた経済のルールは、すでに過去のものになりつつあるのかもしれません。
1. 資本主義の「ルール」が180度変わった
かつての資本主義といえば、「資本家が自らリスクを取って投資し、成功すれば利益を得るが、失敗すれば自己責任で損失を被る」というゲームでした。
しかし、現代の経済構造はこの前提が崩れ去っています。今の資本主義をひとことで言うなら、こうなります。
- ● リスクは「国」のもの(税金でカバー)
- ● 利益は「株主」のもの(配当として分配)
企業がどんなに巨額の損失を出しても、あるいは競争力を失っても、国が財政、税制、法整備などの「手厚い保護」で救済する。そして、その支援によって得られた利益だけを株主が美味しくいただいている。これが、今世界中で隆盛している「国家資本主義」の姿です。
2. 日本で進む「リスクの公有化」と「利益の私有化」
この歪んだ構造は、私たちの住む日本でも驚くほど露骨に現れています。
■ 半導体:巨額の「官製」ドーピング
経済安全保障の名のもとに、国はRapidus(ラピダス)やTSMCの熊本工場へ兆円単位の補助金を投じています。民間企業が単独では取れない巨大な投資リスクを、国が税金で肩代わりしているのです。もし事業が失敗すればそのツケは国民が負い、成功すれば利益は企業の懐に入ります。
■ 原発:巨大事故リスクの社会化
原子力発電は「安いエネルギー」と言われてきましたが、それは事故のリスクを国家が引き受けているからです。福島第一原発事故の処理費用(数十兆円規模)は、税金や電気料金という形で私たちが負担しています。平時は私企業が利益を上げ、有事の損失は国民が広く薄く負担する……これこそがリスクの公有化です。
■ イベント経済:税金が特定の企業の利益に
東京五輪や大阪・関西万博、そして今後控えるアジア大会。これら巨大プロジェクトには、莫大な公金が投じられます。 ここで潤うのは建設を請け負うゼネコンや、プロモーションを担う広告代理店だけではありません。
現場の運営やスタッフ管理を一手に引き受けるパソナのような人材派遣会社も、その一角を占めています。
高い手数料が公費から支払われる一方で、運営の失敗や不祥事、予算超過の責任は国や自治体に押し付けられ、現場の労働者は不安定な立場のまま。まさに「官(税金)」が「特定の民間企業」の確実な利益を保証する装置と化しているのです。
3. 「自由」の次にやってくるのは「強引な権力」
この国家資本主義がさらに進むと、何が起きるのでしょうか。 国が企業を支援し、守り続けると、当然ながら政治権力と経済の境界線が消えていきます。
- 経済の政治化: どの企業を助け、どの産業を優遇するかを「政治」が恣意的に決める。
- 支配の強化: 支援の見返りとして、政治権力がより強引に経済をコントロールし始める。
かつての「リベラル(自由)」な空気は消え去り、強力な政治権力が経済を軍事やナショナリズムの道具として動員する、「権威主義的な経済支配」の幕が上がろうとしているのです。
4. 私たちの未来はどうなるのか
この変化は、単なる経済用語の話ではありません。 「自由な市場」という建前が崩れ、国家と巨大資本が一体化していく未来。そこでは、私たち市民の声が届く「民主主義」の余地がどんどん狭まっていくリスクを孕んでいます。
「リスクを取らない資本家」と「彼らを支え続ける国家」。 この共生関係の先に待っているのは、私たちの想像以上に不自由な社会かもしれません。
あとがき
「投資は自己責任」という言葉が、個人投資家には厳しく適用される一方で、巨大企業やその周辺の利権企業レベルでは「失敗しても国が助けてくれる」という不条理。
生活の中で感じる物価高や税金の重さの裏側で、私たちの税金がどこへ流れ、誰の利益を守っているのか。この歪んだ資本主義の行方に、私たちはもっと自覚的である必要がありそうです。





