閉店のお知らせをして
ホッとしたので

ここからは
オープンから28年
これまでの波瀾万丈なヒストリーを
書いていきたいと思います。

回想記事なので、長文です
お忙しい方はスルーして下さいませ

たいむヒストリー

オープンは突然に…
昭和63年夏、忘れもしない8月31日。
夏休みが終わりをつげたその日
夫はいつものように
パンやさんの仕事に行きました。
30分もしないで帰ってきた。

「なに?どうしたの?」
「オーナー家族が誰もいない!」
「昨日、夜のうちに出たみたいだ!」

それは
いわゆる…夜逃げだった(-。-;

当時、仕事は忙しく
何人ものパートさんも働いていたけど
オーナーが
賭けごとやらに手を出し
お金がそっちへ流れていたらしい
子供さんが2人いて
夏休みの最終日に決行したのだ!


ドラマのような、本当の話に
不謹慎だけど私は笑ってしまった

そして
当時3才9ヶ月の娘との
家族3人の暮らしを、、
私「どうする?」
夫「店やるか?」
私「そうだね(-。-;」

そんなやり取りでオープンが
決定したのでした

オープンはしたものの…
その時支払われなかったお給料は
労働基準監督署への申請で、
当時の給与額の7割が支給されました。

慌ただしく、店舗を探し、
厨房に必要な物を購入し、
1カ月半後の10月15日に
オープンする事ができました。

娘は、近くの保育園に預ける事に
なったのですが、
この突然降ってきた
大人の事情の状況を、
3才児がすんなり受け入れられる
ハズもなく

毎日…毎日…毎日
それこそ毎日、泣かれましたえーん

しかも、
大声で泣き叫ぶならともかく笑い泣き

声を殺したように
ホントにつらそうに泣くのでショボーン

この時ほど
母として辛かった事はありません
でした

一難去って、又一難…
やっと娘が保育園になれてきて
覚えてきた歌を歌ってくれたり
してきた平成1年2月。
まだオープンから4ヶ月後の時です。

夫がスライサーで指にケガを負う。

縫った指先の激痛で、仕事も出来ず
数日間の休業。
この時から、さらなる自営業の大変さ
を思い知る事となる。

会社員と違って、
有給休暇などという
すばらしいシステムは
ないのですから。


つづく…