メンバーも新しくなったというので、私は何度かイングオンまで行きました。

正確に言えば、駐車場までです。

車を停めて、しばらく考える。降りようと思えば、いつでも降りられる。ドアを開けて、二、三歩歩けば店に入れる。そんなことは分かっています。

けれど、どうしても降りる気になれない。

それで、帰ってしまう。

我ながら、何をしているのだろうと思います。

別に、新しい子たちが嫌いだというわけでもありません。人の好みはそれぞれですから、好きな人も当然いるでしょう。

ただ、私の場合、みれいはNoチョイスです。

新しい子も、たしかワンジャイにいた子だったと思う。もう一人は、よく分からない。

それだけの話です。

ハズレを引くのが怖いわけではありません。

気に入らなければ、「やっぱ、いいです〜」と言って帰ればいい。それで済む話です。

なのに、車から降りられない。

たぶん、私は店に行くのが嫌なのではなく、昔のイングオンを見つけられないことが嫌なのだと思います。

私にとってイングオンは、やっぱりユキママがいてのイングオンだった。

あの家に入る。

まずユキママをからかう。

それが私にとっての、あの店へ行くということでした。

たいしたことではありません。本当に、たいしたことではない。

顔を合わせて、ふざけて、怒らせて、それで笑う。

そんなくだらないことが、なぜだか楽しかった。

ユキママがいた頃は、あえてユキママを指名することもありました。

ふざけて顔にかけたら、具合の悪いことに口に入ってしまって、怒られたこともあります。

今になれば、あれも懐かしい。

あんなことで怒られたことまで、私は覚えている。

人間というものは、妙なところばかり覚えているものです。

そして、そのユキママも、あのガサ疑惑の時と同じ頃に、いなくなってしまった。

人身御供になったのか。

ただ単にタイへ帰ったのか。

それとも、どこか別の店で、何事もなかったように働いているのか。

私には分かりません。

分からないままです。

でも、私は勝手に思っています。

イングオンは、ユキママがいてこそのイングオンだったのだ、と。

だから、今のイングオンへ行っても、どうにも昔のイングオンへ行ったような気がしない。

そう思って、私は駐車場から帰って来る。

ところが、困ったことに、これだけ昔のイングオンを懐かしんで、ユキママのいないイングオンはイングオンではないなどと偉そうに言っているくせに、私はまた近いうちに行くつもりでいる。

人間というものは、実に一貫性がない。

いや、一貫性がないのは人間ではなく、私だけかもしれない。