太極拳等の中国拳法には、力を使わないで力を出すという方法がある。それを発勁と云う。
発勁には色々な出し方があるが、私の会得したものは、柔と脱力からの骨を伸ばすことによる発勁である。
 
 この方法は、全身を柔軟にすることで、体の骨をのびやかに伸ばし、筋肉のバネでいきよい良く打ち出す方法だ。すなわち、大地からのエネルギーを足、背骨、肩腕、拳と順を追って伝達させていく。
 伝達には、堅い筋肉は必要ない。筋肉が硬いと骨が伸びやかに伸びないのである。
大地の力を伸びやかに伝達させていくために、堅い筋肉を捨て、柔らかい筋肉を作る。
 そのために、わたしは、10年にわたって、筋力アップのトレーニングをしなかった。また、柔らかい筋肉を作るために、柔軟体操と脱力の修業を行ってきた。
 また、骨を伸ばすために、自分の腕の長さほどに離れた所の物を打つ練習をしてきた。もちろんこれは、身体の移動無く、揺れのみで行う打法だ。(脱力した体からの伸骨のみでの打法。)

 毎日の修練の甲斐あって、10年あまりの年月のうちに発勁にたどりついた。

 私の発勁の特徴は、どんな短い距離からも同じスピードでのパンチが発せられる。15cmくらいの空間でも、
空を切る音を発するくらいの拳の速さを身に付けた。また、これは自らの拳だけでなく、物を使った時も同じ威力が発せられた。

 常に、相手の体よりも20cm以上後ろに勁力の達する場所がある。いわゆる深部に威力が到達する。
脱力から発する拳は、相手に対して多角的にあたり、振動のような錯覚で、体の広い範囲に発動する。
 それにより、相手は、体の中で何かがはじけたように感じるようだ。

 発勁の魅力は、拳にのみあらず、私が体験で一番驚いたのは、図書館の重い木製の本棚を、脱力による勁力で、まったく力を使わずに、持ち上げ、1mほど移動したことだ。通常3人の人力が必要な本棚が、
 あたかも、チーシーの要領で持ち上がったのだ。おなじく、チーシーの要領でグランドピアノを持ち上げた時も驚いた。

 発勁の魅力は、気の修練を欠かさずにいれば、何歳になっても衰えないことだろう。
また、一度身に付けた発勁は、気の修練を怠らなければ、消えることがないということだ。

 気の修練は、何時でもできる。家の中でも自然の内でも、歩いていても、静かにしていても、
気を会得した人は、場所や形にこだわる必要はない。何時でも気の修練はできる。
 
発勁に大切なのは、愛のある素直な、優しい心だ。神様からの贈り物なのだから。
 今時の武術道場は、技術の良否よりも、年齢と、良い子さを基準にして、強さを決めているように思う。
小さい頃、いや 初心者の頃は、やはり、その武術に傑ているかどうかを基準にして強さを決めてほしい。

どの武術道場をとっても、何も考えずに練習しているだけで、いつの間にか初段になっているケースが多い。
やはり、武術の技という者は、体と心で学ばなければいけない。だが、現実は、長くやっている、年取っている、
話がうまい、等およそ武術の技術とはかけ離れたところに、その強さを求めているような気がする。

これは、人が年寄りばかりになり、年寄りが、世暇のついでに武術を習うようになったから、小さい頃から
武術を研究して、鍛錬をして修行したのとは、違う、大人が増えたことによると思う。
即ち、つなぎ止めるためには、適当に昇級しておかないと、その武道への志が折れてしまうことがあると思われる。

もう一つは、今の子供達は、大概が、親に連れられて武術を習い、親の機嫌の内に先生方も子供達を見ないといけないという、社会情勢もあるように思われる。

いずれにしても、まじめに研究し鍛錬し修行した者は、自分の努力の力よりも、相手の歳と、立ち振る舞いと話術によってこの社会も成り立っているのだなと、大変落胆するようだ。

指導者の皆さん、武術の最初の目的は、強い者が勝。主体に研究、鍛錬した者が、普通は強くなり、武術の腕も上がっている。  その普通の状態を初心者の皆さんに体感してもらうことが、道場(その武道が)がまともに大きくなる秘訣ではないだろうか。
 
 この武術を習得する者の当たり前の挫折や喜びが今の武術道場には抜けているのではないだろうか。
(強い者が勝つと言うこと)

今の日本、武道も含めて、あまりに同じ頭の人を作りすぎていませんか。?

だから、本当に武術にたけて、本来の武道を志した人たちが、まるで、異端の人のように角の方に追いやられているのでは、・・・・・

武道の極みの地は、平々凡々と普通に暮らす。戦わず、おごらず、 木鶏のごとくゆるぎなく

武道場という安全な空間で、子供や初心者の人に、武術の修練の厳しさや、技をかけられた時の痛さ、
負けた時の悔しさ、辛さをもっと学ばせても良いのでは、・・・・・!!

それが、年をとって、戦わず、平々凡々と世の中を渡っていく、本物の大人を育てる近道では、

いずれにしても、国による長期リフレッシュサービス(以前の徴兵制度)が行われるようになれば、自ずと辛さを理解するようになるとは思うが、それで良いのだろうか??
最近、人々が自分のために時間を使わなくなったとかんじる。
たいがいの人々は他人の言いなりになって
動いている!
みんな分からない!
もっと自分を信じて自分の意志で動いて良いのでは!
人は自分自身を成長させることが
必要だと思う。
自身のために❗️

今のソチオリンピックはみんながんばつているな
若者も頑張らないと戦争が始まるよわよ

 時代は、悲しい時代に突入したようだ。

               男と女がお互いをさらけ出して話ができない時代。

 この人は、私の話をどう思うのだろう??小さなことを話すだけで、大きな勇気が必要だ。


        女は、嫌いな男が話しかけてきたら、セクハラを持ち出せば良い。

                   ”セク”と言えば、今の男は、セックスじゃなくセクハラを連想する。


        女には、化弱いという迷信で特権が与えられた。男を何時でも陥れられる。


     まじめな男は、女の側にもくっつけない。 


              女と男の関係なんて、昔も今も大して変わらない。


          だから、本当の女は、商業ペースのセックスに走る。

     明るい声で、商業的に呼びかける。そんなビジネスにいろんな女が引っかかる。


     なんと哀れな女達よ。 本物の男は、女にはくっけない。


                    いったい何時になったら、昔のように、エッチな会話をしながら

          本当の恋を駆け引きできるのだろう。

                    自分が傷つくことを恐れず、自分の好きな人を奪い取る

          そんな、精神的に強い恋は、もう終わったのだろうか。


     弱い男は、幼い女と、強襲による略奪でしか 女を得ることができないのだろうか。

            今の日本の縮図が見えてくる。弱者を見捨て、くすぶり続ける炎が 

      もっと、大らかに許し合える恋ができる、世の中にしてほしい。


                     

人間のことを思うとき、何があるのが人間かな。(宇宙の中で)

 やはり、人間の持つ一番の魅力は、恐怖に打ち勝つ、勇気と自分を信じる心だと思う。

 人間の気持ちの中で、勇気という気持ちは、他の気持ちとは全然違う、
 
    今そこになくても良いけど、恐怖に向き合った時、ふつふつと沸いてくる。

    いったい、この人の何処にこれだけの行動をとれるのか。それが勇気だ。

    そして、その勇気の源は、自分を信じる心だ。

            皆さん、自分を信じてますか。??

                 人間の心は、善と悪とに大きく分けられる。

    悪の心は、人間である以上、何時でも持てる。

         だが、 善の心は、良い心、恐怖に立ち向かった時にしか現れない。

         普段は、善人ですよと言っている人でも、いざ、恐怖に立ち向かった時、

     本当に善人になれるのか。そこが、本当の善人と、偽りの善人の違いである。

      皆さん、自分を信じてますか。 今、あなたの周りは恐怖がいっぱいですよ。

      あなたは、見ないふりをしていませんか。??

        

 ある日私はとっても困っていた。
        一人の女の子を好きになったのだ。
             それは、誰にも知らせずそっとブログに書いた。
    ある日、その女の子が、私に言った。
           私あなたのこと好きじゃないから。
                          私は面食らってしまった。
    何も言ってないじゃないか。??どうして知っているの、

  女の子は言った、政府の掲示板に書いてあるわよ!!
       2千百何十年  今や、政府は、国民のお悩み相談に手をつけるようになっていた。
   最初は、機密保護法のようなもので、どこの誰が、何を考えてるかを政府は調べていた。
        
          そして今は、国民すべてのデータを持っている。
              犯罪防止に仕掛けた隠しカメラも今では、各家庭に1台以上は置かれている。
       
      そして、少子化を防ぐため、特に男女の恋愛には、多大な関心を抱いて、それを監視している。

          だから、いつの間にか、私の好きな人の気持ちを聞き出していたのだ。

       国民は、政府の仕掛けられた恋愛につきあわされて、いつの間にか夫婦になっている。

        今やそれが常識である。 両思いの人たちは、誰もが苦労なく夫婦になれる。

      昔のように、あの人私のことどう思っているのかしら。私のこと嫌いなの?好きなの?

      そんなことを思い悩む必要はなくなった。
        少しのデータで気持ちを察知し、すぐに調査に乗り出す。
 
         それが政府のやり方だ。 国民は気がつかないうちに夫婦になるのだ。

       今から、楽しい未来を考えてみよう。(ブラックユーモワ)
世の中には、沢山の書道の達人がいるようである。
     その人達の書を書くときの状況を見ていると、書を書こうとして書いているのではないように思われる。
即ち、腕が勝手に動いて文字を書いているように見える。

 何とも絶妙なバランスで、頭に描いた文章を文字に変えて、腕を動かしているようだ。
 動作と思考の関係に寸部の隙もない。
                     あたかも文字を書く動作自体が、無の状態で行われているようである。
これは、太極拳にも通じる状態なのではないかな。
     即ち、動作の中に隙がなく、それは、あたかも無意識の内に行うように滑らかで脱力されている。

私も早く、何も考えなくても書の書ける人になりたい。
                 その為には、私が太極拳でやってきたような、途方もないほどの動作の繰り返しと、(この場合、書を書くという)勉強が必要なのだろう。

  いつかは、書の達人になってみたい。
AKB48の入山さんからメッセージが届きました。
いつも忙しいと思いますが、本当にありがとうございます。

いつも応援していますので、もしよろしければ、
今度出る番組や、イベント等をブログでも紹介してください。

あなたの嘘のつけない姿勢は、すばらしいものだと思います。
自分を飾らずに、ありのままで仕事に励んでください。

みんなで入山さんを応援しよう。!!

開歩の動作要領


1 重心を移動する。


  前回書いた並歩の段階から、今度は、足を横に一歩出す動作を解説する。

並歩の段階から、出す足の反対側の足に重心を移動しないと、足を一歩出せない。

  まず、並歩の状態から次第に重心を片足に移していくが、失眠と湧泉のツボを意識して

失眠に重心をかけつつ、湧泉を忘れないようにする。そうすることで、足裏の安定感が増す。

  重心は常に、地面に対して平行に移動するように心がける。上げ下げをしないようにする。

失眠から百会までを一つの棒のように考えるので、重心をかける側へやや頭部が移動する。


2 足を開く


  重心が乗ると、片方の足は自然に浮いた感じになるのが普通である。それをそのまま横に平行に移動    する。すると、足先がつく位置がある。そこがその人の足を開いたときの位置に当たるところである。

 足指先が着いたら、足裏、踵と緩めていく。

    このとき重心は、足と足の間にあり、会陰と百会を軸としてそこに重心が来るように立つ。

   身法は、並歩の用法を用いる。