母の日の思い出 | お好み焼き『たいこや』繁盛記

お好み焼き『たいこや』繁盛記

これは 場末の 今にもつぶれそうな小さなお好み焼き屋『たいこや』を繁盛させようと奮闘する『たあやん』の日記です

昭和40年頃の話です。

当時の小学校では、母の日には『おかあさん ありがとう』と書かれたリボンと安全ピンの付いた作り物の『赤いカーネーション』が配られていました。

その日は、みんな、赤いカーネーションを胸に付けて家路についた。
自慢げに帽子に付けてる子もいた。

どういう心使いだったのか、いまだに謎なのだが、
僕は、母親と死別した子供というだけで、先生から『白いカーネーション』を胸に付けられた。

しかも、母の日の前に、
『おかあさんが死んでいない人、手を上げて』
と、確認までされていた。

小学生といえども、母親がいないことを恥ずかしいとは思っていなかった。
かといって、同情され特別扱いされるのも嫌だった思い出があります。

今では考えられないような学校指導だとは思うけど…

ええと…

何が、言いたかったのかな…

そう、
男子たるもの、母親のみならず、すべての老若女性に感謝し、
優しくしなくてはならない!

と、言いたかったのかな(笑)



女性に優しい店『たいこや』の詳細はコチラ


http://s.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140404/14014563/