(悲しいときに美しいものをみるのも好き。このキャミソールの柄と色がたまらなく好き)
TwitterなどのSNSで全ての思いをきちんと誰にも伝わるように書くことはむずかしいけれど、どうしても溢れ出てくる言葉を言いたくなる時がある。
ほとんどの人はその行間から汲み取ってくれて、「ああ、そっとしておいてほしいんだな」とか「ただ聞いてほしい時ってあるよね」って感じで、静かに寄り添ってくれるし、そういう人からの言葉はとても安心できてうれしい。
だからこそ、耐えられなくなった時に、SNSに書くことで自分の気持ちがずいぶん楽になることがあるのです。
だけど、お互いの距離感が遠ければ遠いほど、勝手な想像などで「〇〇が足りなかったのでは?」とか「こうすべきです」と、トンチンカンなことや、心を逆撫でするようなことを書かれる・・・。
もちろんみんな、善意からの言葉。
だけどその言葉がなによりもその人を傷つけるってことに気がつかない鈍感さに、心が折れます。
これもなんかきついな。
瀧波ユカリ@takinamiyukari重い病気の人や亡くなった人に対して「不摂生だったのでは?」「検診に行ってなかったのでは?」みたいに他人が詮索するの、やめてほしい。これって、性犯罪が起きた時に「あなたにも非があったのでは?」って被害者が責められ、自衛を求められる問題にも似ている気がする。
2018年09月01日 20:03
だから本当に辛くってなんにも慰めもアドバイスもいらないって思う時には沈黙することにしています。
時間が一番の理解者かな。
時間ってすごいね。
出来立てほやほやの新刊読んでね。使っているものいっぱい紹介してます。
「部屋が片づかない、家事が回らない、人間関係がうまくいかない 暮らしの『もやもや』整理術」(扶桑社)