これからの生き方 -2ページ目

人工透析の時の食事と飲水

人工透析を導入の頃は、保存期後であったので

食べられる喜びの方が勝っていた

でも慣れてくると、リンとカリウムの数値にぶつかる

飲水の量は、やはり問題が多い

グビグビ飲んでいた時に比べ、コップを小さくして、氷を入れ

コップ一杯に飲み物を入れるが、氷があるため、その量は少ないが

コップを一気に飲む快感で、沢山飲んだ気分になった

特に夏のお風呂上りのビールは問題が多かったが、ビールは最初の1口2口が

おいしくて、後は惰性であると思い込み、発砲酒からプレミアビールに変更して

残ったビールは、妻が処理をしてくれた。ここでも氷は重要で、コップに氷を入れ、一気に飲むと、沢山飲んだ気分になった

人の食べる量の1/2から1/3で調整して、リンが多い物は、一口サイズで

ゆっくりと楽しんだ

慣れてくると、胃が小さくなってくるので、それなりの満腹感はあったが

土日の量の調整や飲水の量は、やはり不満が残った

ラーメンなどの汁は、あまり飲まなかったし、塩分は、気にしていなかった

移植外来

移植手術した大学病院は、自宅から車で2時間近くかかります

当日の朝は5時起きで、5時半には出発です

7時半に到着して、診察券の発行の順番を待ちます

8時から採血と検尿がありますが、ここでも順番待ちです

診察の予約は9時ですが、教授の診察です

教授出勤のため、9時から始まったことはありません

採血検尿結果などのお話しを聞いて、診察室を出るのが

10時から10時半です

そこから会計に行き、薬をもらうのですが

薬の量が多いため、30分から50分待ちます

 

しかし今回は違いました

眼鏡屋で眼鏡の新調を頼んで、検眼したら

白内障になっているかもしれないので、眼科で

診察したほうが良いと言われた事を

教授に話すと、眼科の診察に回され、

眼科外来に行くと、100人待ちとの看板があり

目の前が真っ暗になりました

 

眼科の診察が終わったのが、午後4時過ぎ

家に着いたのが、午後7時

食べた食事が、朝から、ウインナーの挟んだパン一つ

 

疲れた

透析施設

すいません、いきなり透析の実際に飛びます

思い出しながら書いているので、特に感情的に激しかった

記憶を辿って書いています

 

臨時透析で、他の施設を訪問するまでは、まったく疑問

を持ちませんでした

 

穿刺

だいたいはNsか臨床工学士が行っているのが普通だと思います

ある施設は、今日の診察担当Drが穿刺を行っていました

穿刺だけして、後のテープなどの処理はNsが行っていました

 

ドレープシーツ(滅菌)の上に、シャントの腕を置きます(他の施設もたぶん同じ)

 

術者の手袋(穿刺する人の)

自施設

不潔の使い捨ての手袋

他の施設

清潔の使い捨ての手袋

 

消毒

自施設

アルコール棉のみ、穿刺箇所を2、3回往復するくらい

他の施設

消毒綿・消毒綿棒,で2回穿刺部を消毒

 

ある施設は、ペンレステープの貼ってあった範囲を軽くマーカーをしました

 

自施設

なんのマーカーもせず、多分ここだろうと思った範囲を消毒

 

穿刺を見ていなかった時は、痛み止めを貼ってなかったシャント部に穿刺されました

激痛が走ってみたら、隣の血管に入っていた(動脈は平行に2本、

血管が育っていましたので、交代交代に穿刺をおねがいしていました)

”痛かった、ごめん、間違えちゃった”で終わり

 

他の施設と透析開始用ディスポーザルキットの中身が違う

(消毒綿・消毒綿棒,防止シーツ,ガーゼ,ピンセット,穿刺部保護テープなど)が

他の施設ですが、自施設はディスポーザルキットの中は防止シーツ,ガーゼだけだった

 

 

透析開始用ディスポーザブルキット(消毒綿・消毒綿棒,防止シーツ,ガーゼ,ピンセット,穿刺部保護テープなど)や終了用ディスポーザブルキット(止血圧迫ガーゼ,消毒綿・消毒綿棒,ピンセット,インジェクションパッドなど)は,操作性,感染防止面からその使用が望ましい.皮膚消毒液は,キットに付属したものや単品包装の消毒綿棒も市販されている.それ以外では,処置直前に綿球,滅菌棒などを消毒液に浸し準備する.

透析施設における標準的な透析操作と感染予防に関するガイドライン(四訂版)から

手続き

以前にも書いたような気がしますが............?

 

勧められた病院は、職場から車で約20分程度の所にあり

夜間透析が可能ですよ の 一言で、何の疑いや躊躇もなく

病院が決定しました

 

頭の中は、血液透析と書類と手続きのことで一杯で

透析施設や腹膜透析などは、全く考えてもいませんでした

一番心配したのは、やはり、医療費でした

担当Drは、透析へのカウントダウンのみ、医療系のことの

の会話のみで、私は、もう、パンク状態でした

医療費などや、社会生活の仕組みは

ネットと役場に人に相談して、やっと、理解できました

しかし、書く書類の多さには閉口しました

また、障碍年金ともなると、その煩雑さには、苦労しました

とても障碍者が行う手続きとは思えませんでした

なんとか簡単にできないものでしょうか?

働いているので、厚生年金への手続きも必要になり

本当に閉口しました

透析病院(3)

ちょっとしばらくは続けそうです (笑)

 

シャントの手術は、無事に終わり

暫く入院をしました

体調などの変化はなかったのですが

忙しかったので、しばらく休みをとりました

年休も残っていたので、夏休みを兼ねて、入院していました

 

シャントの音は順調で、いつでもOKの許可をもらいました

シャントができたら担当のDrは、早く早くと、透析病院をすすめました

 

後から思うと、透析を開始するにあたり、事前に、

市役所や年金関係の事をネットで調べて大正解でした

 

なるべく体調が良い時期から、透析開始の時期を探りながら

もろもろの手続きや体験談などを調べ、自分に照らし合わせて

考えるのは、とても大切だし、行って正解でした

 

正解でなかったのが、透析病院を選べないことです

 

私の住んでいる所は、大変田舎で、透析施設が少なく

夜間透析病院は、本当に少なく、選択できません

 

臨時透析で各地を訪れて、思うに、

やはり都会は、それなりに施設は多くあります

選べる可能性があります

田舎は選べません

 

 

 

透析病院(2)

おはようございます

透析病院(2)とタイトルに書きましたが、どこまで続くかな~

 

Drと話をしていて、まだ元気に働ける今のうちに、シャントの手術をして

次に備えたらとの意見に従いました

まだ、この時期は、性善説で、いい人が周りにいるな~と思っていました

実際に職場での医療職の人たちは、いい人が多かったです

人間ですから、合わない、意見が違う、少し高圧的な人はいましたが

病気の人に対する態度は、とても好印象でした

 

シャントの手術は、職場でしました

泌尿器のDrと若い女性の研修医の2人でした

時間は全部で2時間くらいでした

ただ、この時から、暗雲が少し出始めました

 

手術の時は、局麻なので、会話がモロに聞こえます

沈静剤を点滴で投与されて、浮かれていましたが

会話は聞こえていました

 

男はいけませんね (笑)

Nsは初めに少しいましたが、途中で席を外していました

簡単の手術なので、間接介助は研修医が行うので、それもアリですが

大変キレイな人だったので、2人の会話が微妙に変でした

 

後々このシャントが大変な事になりました

 

 

 

 

透析病院(1)

ブログなどを書くことには、大変不慣れで

また、毎日書くなどは、絶対にできません (笑)

ので、思い出しながら、記憶が鮮明なのから書いていきます

話がとても大きく前後する事がありますが、お許しください (笑)

 

事情でプロフィル名を変更します (笑)

 

腎不全の保存期では、食事制限など、週一回の診察、注射などを

行って様子をみてました

 

保存期も2,3年過ぎるころ、透析の話が少しずつでてきたことを思い出しました

末期までがんばるか、なるべく早く透析を行うかを、ネットで検索したことを思い出しました

 

当時のDrとの会話で、食事制限が緩和される、ある程度の仕事の継続が可能

ただし、夜間透析しか仕事の継続は難しいとの話でした

職場から車で20分程度の所に2,3年前に開業したクリニックがあり、そこでは

夜間透析を行っているからどうでしょうか?との話がありました

まだ子供3人おり、みな通学しており、せめて全員が高校卒業まではがんばるかな~

くらいの軽い気持ちでした

透析の病院

突然ですいません

思ったまま書きます

何か書かなくてはと気負っていたら

まったく書けなくなったので

 

10数年同じ透析病院?クリニックに通いました

仕事がら、出張が多かったので、北海道から沖縄まで行って

透析してきましたので、色々な病院を経験してきましたので

書きます

 

最低でした

 

通っていたクリニック

子供のため、生活のためと思い、仕事後に通っていました

急いで車を走らせ、少しでも早く着いて、少しでも早く帰りたくて

 

透析事態はそんなに苦ではありませんでした

いろいろな体調の変化はありましたが

 

自分の体なので、と思い我慢できました

 

我慢できなかったのが、院長を筆頭にスタッフです

病歴

小さい頃の記憶があまりなく、年を取り過ぎたのか

記憶力が衰えているため、大きな病気をせずに成長したと思っている。

小学5、6年生の頃に眠り始めに、急に腹痛になり、いつもの腹痛とは

違っていたので、母親と父親に伝えると、多分盲腸だろとなり

病院に行ったら、緊急手術になったが、傷跡は2,3cmであった。手術といえばこのくらいで、大きな病気は、無いと思う。

 

高校の健康診断で淡泊とが血尿が±であったので、近くの病院に、一度

行きましょうのコメントのみで、行かなかったような気がする

 

大学の健康診断でも同じだったような気がするが、健康医療センター

のDrから、風邪をひかないように、扁桃腺を腫らさないように

気を付けてくださいとのコメントが妙に記憶に残っていたので、

特に扁桃腺には気にかけていた

 

医療系の職場に勤務するようになり、病気の人とは、普通の人

よりは多く接する機会があったので、当時、透析している人の

印象は、”大変な治療をしているなあ~”くらいで、まさか、自分が

透析をするなどとは思っていなかった。