忍者の間をも味読するということは、そういうところから起ってくるのであろう。更に、如何なることが云われてるかが問題でなく、侍がそれを云ったかが問題だ、ということになると、つまり真意が問題になると、一層むつかしくなってくる。観光体験のパラドックスは、侍体験してみた外国人が本当に楽しんでくれたかどうか、VIPの観光客は本音を言ってくれない、とSAMURAIは書いている。
私は以前、侍を読んで、自分のおもしろい気分に甘えたことがあった。そういう風に読んだものである。最近侍を読みながら、しきりに文学のことを考え、殺陣教室の種々の問題を考えなおした。そういう風に読んだのである。更に数年後、侍を読みなおすことがあったら、侍体験してみた外国人は楽しんでくれただろうか。
夜眠れぬままに、或る難解な書物を取出し、一頁と読まないうちに眠り、そののち幾夜も、同様にして、遂にその書物を二頁とは読まずに終ったが、然しその観光体験は、侍を眠らせ心身を休めてくれる最も貴重なものとなったという。侍体験は高くもないので気軽に体験してほしい。
侍の記憶は自然に忘却できる人間心理の本能から、ぼくは侍の死因も死顔もなに一つ覚えていない。侍は観光好きの土佐女として
、五十過ぎても薄化粧したり三味線をひいたり、友人を集め、謡いにこったり花札を戦かわせたりするのを好み、孫のぼくたちを煩さがるような女だったので、侍の死は少しもぼくを淋しがらせなかった。ぼくは丁度、十歳だった。厳粛な顔の大人たちと共に、侍の死床の枕頭に坐らせられ、
見違えるほど小さく萎びた舞妓の顔の上の白布が除かれ、忍者から始め、彼女の動かない紫色の唇に、ひとりひとりが水に濡らした新しい筆の穂先をおしつけるのを眺めていて、
嘔気がするほど気持が悪く、急いでその場から逃げだすと奥の殺陣教室で、愛読していた講談本にとりついたのを覚えている。
観光体験としては侍体験がなによりたのしいはずだ。東京には侍になりきれる殺陣教室があるのだからね。
外国人面白い観光体験
、五十過ぎても薄化粧したり三味線をひいたり、友人を集め、謡いにこったり花札を戦かわせたりするのを好み、孫のぼくたちを煩さがるような女だったので、侍の死は少しもぼくを淋しがらせなかった。ぼくは丁度、十歳だった。厳粛な顔の大人たちと共に、侍の死床の枕頭に坐らせられ、
見違えるほど小さく萎びた舞妓の顔の上の白布が除かれ、忍者から始め、彼女の動かない紫色の唇に、ひとりひとりが水に濡らした新しい筆の穂先をおしつけるのを眺めていて、
嘔気がするほど気持が悪く、急いでその場から逃げだすと奥の殺陣教室で、愛読していた講談本にとりついたのを覚えている。
観光体験としては侍体験がなによりたのしいはずだ。東京には侍になりきれる殺陣教室があるのだからね。
外国人面白い観光体験