~~~この話は「おなじさやのなか 三男 メゾー」からの続きです~~~
要するに、
と、四男 豆〆(まめしめ)は深呼吸して考えた。
みんながそれぞれに生きてくことになった、ってことですね。
さてボクは、どうしますかね。
サヤからはじけた瞬間、これだけはと離さなかったIpadをおもむろに開けてみる。
お、壊れてません ♪ かなりの衝撃だったからもうだめかと思っていましたが。
インターネットは、、、、これもなんと、使えます!
豆〆はネットで兄妹達を探そうとしたが、それはできなかった。。。
探せないと知った時、豆〆は急に淋しくなった。
ボクたちがはじけたのは、サヤの保持力より風の威力のほうがまさっていたからですが、
あのとき最後にボクが「水と栄養だけでは育っていけない」などと言わなければ、アンチャンはあんなに怒らなかったでしょう。ボクの一言が、たとえそれが正しかったのだとしても、アンチャンの苦労を踏みにじるようなことになってしまったのですね。
考えながらネットサーフィンしていると、こんなページを発見した。
「メンデルという学者が、エンドウの交配実験から遺伝の法則を明らかにしようと研究している」
というニュースだった。
豆〆は、この研究の力になりたいと、むしょうに思った。
今まで、サヤの中だけで豆データを集め記録してきた。
それは、腕力もなく気が利くでもなく、おまけのように生まれてきた自分が、唯一、楽しめることだった。唯一、自分で自分を認めることができることだった。
しかし今はちがう。
このメンデルという学者の研究が、ボクたち豆の役に立つのなら、なにか自分にできることをしたい。心からそう思った。そして集めてきた豆データを、この学者へ送信した。学者と意見を交わしたりもした。
こうして、豆〆は、遺伝法則研究の一助となったのである。
歴史おもてには現れないが、‵豆〆の一助’と言えば、知る人ぞ知る有名な話だ。
この研究は、ある豆農家の復興にもつながった。
嵐で豆畑が荒れてしまい意気消沈していたところ、このニュースが励みとなった。立派な豆を作ろうと何年も頑張り、MAMRTAというブランド豆生産に成功したのだった。
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アンチャン、少しでも、育ててもらった恩返しになったでしょうか。。。
豆〆はそう書き込み、Ipadをそっと閉じた。
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*オーストリア帝国(チェコ)のグレゴール・ヨハン・メンデルと、この話の内容はかかわりありません、念のため。
~~~もうちょい続く~~~