誰も傍に居ない 孤独

  「孤独死」ではなく「ひとり死」

 

ということを中心に活動されている上野千鶴子さんがまとめられた本。

主に対談、それと上野さんの文章が書かれています。

誰も傍に居ない ということは、孤独なのではない。

私も、そう思っています✊。

一番さびしいのは、たくさんの人達・家族がいるのに感じる孤独。

 

本に記された部分を、また記します✋。

対談相手の言葉もあるし、筆者の考えもあります。

 

・独居老人が死ぬと「孤独死」の烙印を押されるけど、それも余計なお世話です。

・長生きをすれば、家族としての時間は、人生のある一時期にすぎません。多くの人は、ひとりになることに対して恐怖を抱いている。だけど、それは悪いものじゃないよ、開放された時間なんだよ。

 

・最後の支えになるのは、「ひとりでいても大丈夫」という「心」じゃないでしょうか。

 

・長引く自粛生活で自分を見つめ直すことができた人は、以前とは全然違う価値観を身につけられる。でも、人とつながることばかり考えていると、コロナを経ても希薄なつながりに縛られた生き方から抜け出すことはできません。

 

これは、どんな年代層にも言えることですよね。

 

・人生を楽しむためには健康でなければ、と思いがちですが、そんなことはないですよ。この研究をしてプラスだったと思うのは、高齢者と障碍者をつぶさに見たことで、視覚、聴覚、知的とさまざまな障碍を持つ方と接し、健康でなくても「ぜんぜんオッケー」と思えるようになった。最近は楽しくというより、「日々、機嫌よく生きていく」でありたいと感じます。

 

・調査を進めると、同居者のいる認知症の方より、独居のほうが、問題行動が少ないということがわかりました。なぜなら、問題行動というのは、ほとんどの場合は「誰か」が引き金を引いているからです。特に身内は、つい高齢者を励ましたり、時には叱ったり、責めたりしがちです。そのストレスが、問題行動を引き起こす原因となります。
 

機嫌よく。

 

それが大切なことは、亡母の最期の数年を見ていて、感じました。

 

でも、「機嫌よく機嫌よく」なんて、壊れていくひとに、人生の先輩であり私を育ててくれた母に、言う言葉ではありませんでした。

 

まぁ、性格や今までの生きてきた道もあり、私にとっては、とってもむずかしい!

(>_<)

たとえ亡母に伝えても、同様の理由で、むずかしかったでしょ。レビー小体型認知症という病気のため、怒り心頭だったかも。最期の期間への私の後悔が増えたかも。

 

 

とりあえずは、いま、自分。

こころを穏やかに、自分を俯瞰していこう、、、か?


 


・訪問医療・訪問看護・訪問介護の3点セットがあれば、最期までおひとりさまで過ごすことは可能です。まずは、地域に訪問診療をしてくれる医療機関や訪問看護ステーション、訪問介護事業所があるか、調べておきましょう。

 

ふむ、なるほど。

    *「最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく」by 上野千鶴子、中央公論新社